ようやく最近書いてた記事の原稿が出来た。
さぁUnityを触るぞと教本を買い、軽く読む。
なぜかプログラミングのあれこれを見ていたら、今ある料理レシピの改竄がしたくなる。
料理レシピDBを睨みつけ、改良を始める。
なんでやねん。
改めて思うのだが、料理というのは本当に複雑な処理行為だと思う。
時限(消費期限のある)の食材に味付けと調理方法を組み合わせる。
失敗するとまずいものが出来上がる事もあれば、最悪食中毒になるケースもある。
これを日々の生活でやるって難しすぎる。
そういった失敗をしないために、世の中にはたくさんのレシピが存在する。
が、覚えるコストが高すぎる。
そもそも料理中に「えーっと、次は何だったっけ…」と確認するめんどくささ。
結局慣れたレシピを回すだけになる。飽きる。
これが世の中の自炊嫌いをたくさん排出している理由だろう。
100種類よりどりみどりなレシピ本は一見魅力的でよく売れるだろうが、結局はただの使いづらいパッケージに過ぎない。
ぱっと見て素敵な素材集を買ったものの、使いどころに悩んで結局お気に入りの数個だけを頻繁に使うようなものだ。
使いこなしづらいような構成になっているわけである。
なぜ?レシピに依存させる事でレシピ本の収益を増やすためだ。
こういった明確な悪意があるわけではないだろうが、実用性度外視で華々しさばかり重視されているのは事実だろう。
ここまで答えを出しているんだから、もう少しで楽、おいしい、健康の料理プロセスが完成しそうだ。
だが、まだ足りない。
結局数ヶ月前に整備したレシピDBをもってしても、怠惰かつ多忙な私は料理するという習慣を放り投げてたまにしか料理していない。
私というハードウェアがポンコツすぎる。が、これは叩いても直らない。
まだだ。このポンコツを動かせるほど回る仕組みが何か足りていない。
この怠惰かつ多忙な私を動かせるくらいに、楽で完璧に回るシステムにしなければならない。
最近は今日作る料理をAIに聞いている人も多いだろう。
まあ私がやっている事はそれに近い。
が、AIに完全丸投げしたら、レシピ本からAIに依存先が移動しただけだ。
AIはもう少し限定した役割に留めるべきだ、というのが私の考えである。
と、完全に気持ち悪い語りになってしまった。
こうして見ると私はやはり根っからの理系人間だなと思う時がある。
この文章もプログラマの開発日誌さながらだ。
Qiitaあたりに出したら案外ウケるかもしれない。
とはいえ、私は高校時代は根っからの文系人間だと思い込んでいた。
理系・文系なんて差も結局は瑣末な分類に過ぎないのだろう。
「料理は愛情とまごころを込めて〜」なんてのは、この複雑すぎる行為を無理矢理やらせようとする、自己犠牲の精神論のようなものである。
愛情を糧に頑張ろうとするのも限度がある。現代人は本当に忙しい。
そもそもそういった精神論が「頑張れない私には愛情が無いのだろうか」と個人を追い込む凶器になる場合だってある。
忙しい現代人はレトルト食品、冷凍食品、ミールキット、外食、ウーバーイーツに頼り切りになった。
愛情神話などとっくの昔に崩壊している。
ではなぜ私はそれを自覚してまでも自炊をするのか?
そりゃ栄養と価格だろう。
よく「自炊は外食やミールキットと大してコスパ変わらない、自炊する意味ない」なんて言われるが、中身を見てみなさいよ。
外食で野菜などきちんとした栄養バランスを取ろうとしたら、追加のサラダが必要になったりしてどうしても値段が高くなる。
毎食2000円くらい払わなければ自炊した時のような健康的なメニューなんて食べられないのではないか?
現代人が不足しがちな栄養を適切に摂取するには、結局自炊が一番安上がりというわけだ。
外食や弁当だと、脂質の制御も出来ない。
見た目を良くするために無駄に脂質が増されている場合も多い。
将来の健康リスクも上がる…というわけだ。
そんな事、あすけんの女に聞かずとも分かる。
1ヶ月ほぼ休まず自炊を続けるのが目標なんだがなぁ。
怠惰な私でも回る料理システム、今日も引き続き考えるか。















