2025年6月5日にnoteで公開した記事のリバイバル。
何度目か分からない吹っ切れ回。
noteを見限って個人サイトに回帰するぞと思い至った記事。
この後WordPressのFSE(フルサイト編集)をChatGPTに聞きながら自力で作ろうとした結果、大変な目にあうわけだが。
今日も他人に読ませる気が無い文章。
一つある事を悟った。
noteは深い記事を書くのに向かない。
なんとなく気付いてはいたが、いよいよ確信に至った。
結局noteでは「口当たりの良く、心地いい、癒される、共感出来る、ほんわか、キラキラ、ちょっとしたライフハック」くらいの記事が歓迎される傾向にあるのである。
もちろん深い心情を吐露したnoteもたくさんある。
が、結局公式に歓迎されるのは軽いスナック菓子のようなnoteなのである。
アルゴリズムもそう物語っている。
「みつける」タブの人気記事にはまさにそういったお菓子の山があるだろう?
つまり私の書くような陰キャの煮凝りみたいな文章はお呼びではないという事だ。
ついでに言うと、有料noteの存在は罠だ。
あれは適度に人気なインフルエンサー向けの機能であり、そこらの一般人が有料noteを書いたところで、結局は過剰な宣伝をしなきゃ誰も買わないのである。
無差別いいね爆撃、無差別フォロー、SNS宣伝などのブランディング…たゆまぬ努力の成果が出て初めて有料noteが売れる仕組みというわけだ。
つまりは、一般人が普通に書いたところでろくに売れない。
noteの有料記事で稼ごう!(※ただしインフルエンサーに限る)(一般人はとにかく営業しまくって頑張ってね〜)というわけだ。
…営業する労力を思うと普通にバイトでもした方が稼げそうだな。
さて、私が欲しいのは評価ではなく居場所である。
そう考えるとnoteまでもが「not for me」になるのではないか。
結局ね。
もちろんそんな物全く気にせずここを居場所としてしまえばいい、という考えもアリだろう。
実際私もそう思おうとしていた。
そうすると記事の「スキ!」とかいう数字が目障りすぎる。なんで自分の文章にいちいち数字つけられなきゃいけないのよ。
国語教師か。採点か。なんでもかんでも数字にしやがって。
だが絶望することはない、私はある物を思い出した。
個人サイト。
結局ここに立ち返るのではないか。
昔(20代前半くらい)はWordPressにアニメの感想やらゲームのプレイ日記やら書いていたものである。
今はもっと書く物がある。書きたい物もたくさんある。
原点回帰かぁ〜。
個人サイト、全部自分で作らなきゃいけない反面、自分でやりたい放題なのが最高。
最近はノーコードで作れるStudioとかもあるし。
去年の今頃もサイト制作に入れ込んでた時期があったが、結局めんどくさくてほったらかしだった。
WordPressの良くなかったところって、調べ物したくてググってもろくでもないスカスカのサイトばかりヒットする、欲しい情報に全然アクセス出来ないのがネックだったんだ。
去年も調べながら「SEOと金儲けの手段だけこだわるアフィカスどもがぁ!(暴言)」って画面に向かってキレてたものである。
でも今ならChatGPTという強力なアシスタントツールもある。心強いぞ、これは。
去年サイトいじってた時も、今更PHP主体のクラシックテーマいじりたくなかったからFSE(フルサイト編集)のカスタマイズ方法知りたかったのに全然ヒットしなくってさぁ…という愚痴。
私が10年くらい前までやってた個人サイトは、とにかく好きな事について記事書きまくって、たくさん更新していた。
収益化に関係する活動は、最低限のSEOとコンテンツを邪魔しない程度のささやかなAdsense広告、あとは「記事更新しましたよ〜」と新着記事のSNS共有してたくらいだ。
ブランディングに精を出してたわけでもなかったし、全然負担にならないレベルの最低限の収益化活動。
それでも半年に1度はAdsenseからお小遣い貰えてたと思う。
もちろんアフィリエイト全力!金儲け!的なブロガーからしたら弱小も弱小だけど、別にそこが主目的じゃないし。
むしろ本当に好きな事だけやってお金が貰えてるって最強の不労所得じゃない?と思った。
運用してた頃はたまーにGoogleアナリティクス見て、UPV増えてくのおもしれ〜ってゲーム感覚で眺めてた。
イイネの数として強制的に評価数が表示されるんじゃなくて、自分が見たい時にチェックすればOKなのがいいよね。
まあそんなわけで。
とにかく個人サイトまた作りてぇ〜!になったので、とりあえずFigmaをいじくってサイトの構造を考える事にした…の前に、Figmaの使い方勉強中。
でもめっちゃ直感的な操作だし、思ったよりすぐ馴染めそう。あと楽しい。便利。
WordPressを自分の思想とか活動のコアに置いて、各SNSは世間との接続手段の一つくらいに考えておくのがちょうどいい気がする。
接続手段というか….言ってしまえば宣伝用のみの存在。
WordPressが思想の本体ならSNSはケーブルね。
noteももちろんケーブルだよ。
Xみたいに、やばいレベルの改悪とかでケーブルが切れそうになっても、所詮はケーブル。本体に影響は無い。
そうなると、noteの扱いもだいぶ変わりそうだなー。
WordPressでエッセイ本編書いて、このアカウントにはその誘導リンクと要約・抜粋だけ貼り付ける、みたいな。
noteの扱いなんてその程度でいいのかも。
最近RSSリーダー再開したりWordpressに戻ろうとしたり…
2010年代へのロールバックしまくり。
そしてまたnoteでnoteの悪口を書いてしまった。
あー早く自分のサイト作りたいなぁ。明日も頑張ろう。