もう誰にも期待しない。

凡シュールのエッセイ

2020年4月9日に公開されたnoteを移行したものです。


他人への期待。特に親しい者、近しい者には期待してしまいがちだ。
なぜなら相手に関心があるからだ。

しかしそれは相手にとって圧にしかならない場合がある。
どんなにこちらが気を遣おうが、相手に間違った受け取られ方をされる時も多々ある。
結局はエゴだ。

他人は所詮他人だ。
自分の力で他人を変えられるなんて思い上がりはやめろ。
他人に期待したところで、自分の望んだとおりに動いてくれるとは限らない。
その逆の方が圧倒的に多い。
他人は操り人形じゃない。期待するだけ無駄だ。

他人に何かを期待するくらいなら自分を変えろ。
自分との対話だ。
他人なぞ最早どうでもいい。

結局私の人付き合いは「楽しい事だけいい感じに共有する、悩み相談などしたりして深く踏み込んだりしない」くらいがちょうどいいのだろう。
私は所詮何の力にもならないのだから。

なぜなら人一倍ウマが合う人間とはことごとく酷い絶縁の仕方をしているからだ。

酷い絶縁の仕方をしたのは3人だ。
どれも人一倍気が合ういい友人だった。
しかしもう友人に戻る事はないだろう。

ここまでくると自分の何かが悪いのではないかと疑いたくなる。
いや、3人ともとんでもないメンヘラだったのか?
なぜなら被害を受けたのは私だけではないからだ。

まあもうどうでもいい事だ。
終わった事を考えたって仕方ない。
とにかく私は他人に期待しないようにして生きる事にしたし、もう心を開く事もないだろう。
別にそれでいい。みんな好き勝手生きればいい。
他人とは楽しい話だけしていればいい。

こういう大して面白くもない話はnoteに書き記せばいい。
noteが私の唯一の相談相手だ。
つまり結局は自分との対話だ。

もう人付き合いは疲れたんだよ。
何もかも辛くなったらぬいぐるみを抱きしめる、もうそれでいいんだ。

自分で何を言いたいのかすら最早分からない。
なぜなら自分の思考から既にぐちゃぐちゃだからだ。
絡まって、解こうとしても余計絡んでいく毛糸のような。
信じられないほど固く結ばれて、どんなに頑張っても解けないなら切るしかないじゃない。

追記(2025年6月21日)

この頃から私は明確に他人を信用しなくなった。
他人に心の内をさらけ出そうとしなくなった。
これは今もそうだ。
そして、もうそれでいいと思っている。上手くいっている。

私の中の知り合いとは、何となく適当に話を合わせてヘラヘラ笑う存在である。
かつては感性の深い繋がりを求めていた。
そんなものは直接の人間関係で求めるべきではない、と結論付けた。

それは創作でやるべきだという解。