凡シュール

”無駄”な物を買わなくなった生活

凡シュールのエッセイ

2020年3月5日にnoteで公開した記事のリバイバルだ。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

この記事から5年経った今、結局私は今再び好きなぬいぐるみなどを買い集める生活に戻っているわけである。

でも昔ほど浪費!という感じではなくなった。 いや、正確に言えば昔の散在も単なる浪費ではなかったように思う。

何の役に立たなくても所有しているだけで幸せになる物というのは存在する。 私にとってのぬいぐるみはそういうものだ。

今もたくさんしまい込んでいるが、それが家にあるという事実は私を幸せにしている。

何の役にも立たない、つまり理性0の存在だが、それがある事によって幸せを感じる。感性を喜ばせる存在とも言える。

こんまり流に言うとときめくということなのだろう。

この時期の節制を経て、それでも大事な物を見抜いて今があるんだと思う。

前にも書いたとおりだが、私はもともと浪費癖の持ち主であり、それをやめる決意をしてからしばらく日用品や食品以外の物をほとんど買わないようにしている。

もうかれこれ2週間近く経った。しんどい時に逃げる先が失われたのは、かなりしんどい。このご時世だから尚更である。何かの依存症の人のリハビリはこんなものではないと思うと、恐ろしいものがあるくらいだ。

それはいいとして、最近一冊の本を欲しいと思った。

「ロストターン」という本である。私は昔から「リトルターン」という本が好きだった。辛い時はよく読んで励まされていた。そんな「リトルターン」に続編がある事を最近知った。

それが「ロストターン」だ。

「リトルターン」は何らかの理由で飛べなくなったアジサシという鳥が、地上で様々なものを見て最終的に飛べるようになるという話だったが、「ロストターン」は飛び立ったアジサシが自分の居場所を探す内容のストーリーらしい。

今の私に必要な本だと思った。

この本は既に絶版になっているのか、本屋の在庫検索でも取り扱い不可になっていた。Amazonで中古本が販売されているのみである。

一冊の値段は大して高くない。送料込みで800円とかそんなものである。少し前までの私なら躊躇いもなくカートに押し込み、そのまま確定ボタンまで辿り着いただろう。

しかし、この時の私はカートに入れるのを躊躇った。

「これは本当に必要か?今必要な物なのか?」と。

前までの私と違い、たかが中古本一冊を購入するのに躊躇していた。

こうして3日くらい保留にした。

思考を巡らせた結果、やはりこれは今の私が読むべき本だと判断した。

だからカートに入れ、確定ボタンを押した。

物を一つ買うのにじっくり吟味して考えるのって、何か物を大切にしている気がしていいなと思った。

今までの私は特にドールやぬいぐるみを、かわいいと思ったら即買う事が多かった。ドールは特に、その時買わないと後から入手するのは難しいからである。

私の中の「かわいい」の基準は結構明確で「それなりにクオリティが高い」「今まで見なかったデザイン」など自分の中で審査しながら買っていた。

だから全く役に立たなかったというわけではない。この行為は自分の感性を高めるのに役立ってくれた。

また、そういったものたちは存在してくれるだけで癒しになっていた。一つ一つが私の大事な宝物だ。

ただ、数だけが増えていき、せっかく買った大切な物たちに構う暇はあまり無かった。

「今ある物をもっと大事にしよう」

そう強く思った。

今あるもの。

自分にとって何が本当に必要で、何が不要なのか見極める必要がある。

あらゆることの”片付け”をしよう。

そういえばちょうど去年の今頃、”こんまり”の動画を見たり、本を読んだりしていた。

3月というのは何か片付けをしたくなる月なのかもしれない。

春は、出会いと別れの季節。

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