これは2020年2月28日にnoteで公開した記事を移行したものです。
昨日はとにかく最悪の気分だった。
嫌な事がこれでもかというほど発生した。
ツイてない時はとことんツイてないものである。
「やれる事をやるしかない」と、まず目の前の紙の山をスキャンしようとしたらスキャナがぶっ壊れる。
泣きっ面に蜂とはこのことか。
最悪に最悪を重ねてどん底だった。
手元に拳銃があったら勢いでこめかみにズドン!とやりかねない状態だっただろう。
銃規制社会に感謝である。
そんなわけで、全く意欲というものはわかない。
料理してみたが心はどんよりしたままだ。
惰性で続けてる日課の色鉛筆ワークブックをやっても気分が晴れない。
ここでふと「The Catcher in the Rye」の原書を真剣に解読してみたくなる。
邦題は「ライ麦畑でつかまえて」で、何十年も前のベストセラーでありながら私がとても大好きな小説である。
我ながらずいぶんと突拍子もない事を思いついたものである。
大まかな分節に分けるためにまず文章をGoogleドキュメントに写す作業をする。
ひたすらタイピングだ。
大して頭を使わなくていい。
まず1章を写し、大まかな分節に分け始めた。
最近英語の短いニュースを読みまくっていたおかげか、結構スラスラと分ける事が出来る。
大まかな文脈が分かるようになっている。
ライ麦は日本語訳を何度も読んでいるおかげか、単語の詳しい意味が分からなくても文脈が何となく分かるし、わざわざ訳さなくても情景が浮かんでくる。
異国の文章だけでもちゃんとホールデンと再会する事が出来た。
そんな作業を無心でやり続けた。
深夜2時くらいから始めて、気付いたら朝の7時を過ぎていた。
驚いたことに、それまでのイライラとか辛さが吹き飛んでいた。
いい意味で全てどうでも良くなったのだ。
これは”ゼロの状態“とでも言うべきか。
アドレナリンのようなものが出たのか何なのか分からないが、脳からノイズが取り払われて心なしかスッキリした気がする。
心が軽い。
夢中になれる体験とはこういう事だろうか。
まさか英文を読む事でこんな体験をする事になるとは思わなかった。
大好きな小説だからなのだろうか。わからない。
まだ気分は完全に晴れたわけじゃないし、明るい気持ちにもなれないが、ライ麦の読み下しをやり切った時に何かを掴めるような気がする。
とても長くて根気がいるが、ひとまずやってみる事にした。
以上が、が昨夜開いた悟りのような何かの一部始終だ。
不思議なものである。
追記(2025年6月21日)
そういやこんな事もやってた気がする。
それにしても当時の私の文章、読ませる力がすごいな。
文才じゃん。あの頃の私、どこ行った。







