世の中は猫の日らしい。
もう少し余裕があれば、今まで撮影した猫ぬいぐるみや猫フィギュアの写真をまとめて猫まみれ記事を出したいところだが…。
来年の目標にでもしておくか。
個人サイトを作ってから、やりたい事が順調に回りつつあると思う。
相変わらず不条理に見舞われる事もあるが、不条理を糧にする力を会得したというか。
ずっとウジウジ愚痴ってても仕方ないし。
これは単純なポジティブシンキングとは違うと思う。
だって相変わらずこういう人らは大嫌いだし。
ポジティブシンキングを偉そうに説く人間は、大して苦労した事が無い…というのが持論だ。
その恵まれた環境を祝福して人生を謳歌していればいいものの、その有り余ったエネルギーを他人にマウント取る事でしか使う事が出来ない人たち。
その心の貧しさは、ある意味で一番不幸だとは思う。
そもそも本気で挑んで、それが掠りもせずに失敗した時。
「いやいや次こそ上手くいくよ、頑張ろう!」
本気で取り組んだものにこんな思考が通用するだろうか?
ハナから本気でやってなかっただけなのでは?
本気でやって撃沈した人にとって、これほど残酷な言葉って無いのではないだろうか。
全ライフを賭けて挑んだが失敗に終わり、ライフ0になったようなものである。
「もうやめて!⚪︎⚪︎のライフは0よ!」
残機がもう残されていない人間に「まだまだいける!」と言っているようなものだ。
というか残機が無いものを精神論だけでどうにか出来ると言っているようなものでもある。
旧日本軍マインドすぎるだろ。
じゃあポジティブシンキングでない、不条理を糧にする力ってどういう事なんだろう。
例えば落ち込んでる時のポジティブシンキング文章との出会いも一種の不条理と考えると…。
ポジティブシンキング人間の事を、人間観察の素材にしてしまえばいいのではないだろうか。
ポジティブシンキング人間はなぜポジティブシンキングなのか。
まず、物事を深く考えようとした事が無い。
「嫌なことがあったけど前向きにいこう!」
このくらいの単純な思考回路で生きているのではないかと思う。
これは一見幸せな事かもしれない。
しかし、多くの人間はここまで単純ではない。
つまり共感性が低いという事である
共感性が低いという事は、相手の心を真に分かってあげられない。
もしかしたら知らず知らずのうちにノンデリ発言を繰り返し、周囲にちょっと嫌がられている可能性もある。
何気ない発言が誰かを追い詰めている可能性もある。
無神経は人を殺す。
私もこれに気付いてからはかなり意識するようになった。
あとわざわざそのポジティブシンキングを周りにも押し付けようとする人。
これは、自分自身に無理矢理言い聞かせているパターンもある。
世の中には不条理が溢れている。
そのまま受け止めたらまず身が保たない。
そもそも怖くて不条理に向き合いたくない。
だから自分に嘘をつく。
それが正答のように、周囲にも表明する。
彼らなりの処世術の一種なのかもしれない。
彼らも本当は怖いのかも、と考えると親近感がわいてこなくもない。
実際に不条理というものに真面目に向き合いすぎると人間潰れてしまうので、彼らの処世術は間違っているわけではない。正論。
彼らの厄介なのは、ポジティブシンキングが100点の唯一解だと主張してくる点である。
そもそも正論だけで語れるほど、人間は単純な生き物ではない。
正論だからこそ言われた側は反論出来ず黙るしかない…それがこの手の正論の厄介なところである。
この話を書くうえで軽くポジティブシンキングで検索して記事を探してみたら「結婚出来なくて辛い」という女性に対するカウンセラーの文章を見つけた。
結局その記事は「あなたの心持ち次第であり、あなたがネガティブになっている時点で一生結婚なんて出来ませんよ」といった内容のものだった。
この手の正論は非常によく見かけるが、はっきり言ってクソだと思う。
反吐が出るとも言ってしまいたいくらいだ。
私だったら、そもそも結婚=幸せの唯一解という相手の常識をぶち壊すところから始めると思う。
結婚しても不幸になった人、あるいは独身を貫いても毎日楽しく生きている人のサンプルを提示し、別に幸せの形は結婚だけではないという事実を突きつけるだろう。
ブライダル業界の方たちには悪いが。
このサンプルを突きつけたうえで「幸せになれるか否かはお前の心がけ次第だ」と言い放つに違いない。
結局カウンセラーと同じ結論ではあるが、そこに至るプロセスが全く異なる。
仮に女性がカウンセラーの言う事を鵜呑みにしてそのまますぐ結婚出来れば丸く収まるが、結婚というのは結局は運と巡り合わせみたいなものだ。
心を入れ替えたからといってすぐ出来るものでもないだろう。
じゃあ出来なかった時どうなるか?
「私はやっぱりダメなのか…いやいや、こうやってネガティブになるからいけないんだ!前向きにならないと!」
これを繰り返したらそれこそ人間壊れると思う。
カウンセラーが人間癒やすどころか壊してどうするよ。
だんだんこの話がどこに向かっているのか分からなくなってきたな。
まあポジティブシンキングという不条理から、こうしてねちっこいエッセイが書けたのだ。
これも不条理を糧にする一つの形なのだろう。
それこそ2025年は結構な不条理に見舞われた年だった。
自分の居場所がどのコミュニティにも無いことへの確信を深め、絶望した。
だから無理にコミュニティに所属しようとするのをやめ、個人サイトという個の城塞を作り上げる事に全力を出すことにした。
言ってしまえば、一種の開き直りなのかもしれない。
ある意味ヤケクソなのかも。
不条理を一度受け入れたうえで、逆手に取る手法。
私はこのようなねちっこい人間分析をする程度には、元来の気質がネガティブ人間だ。
でもネガティブ人間なりの処世術がこれなのかもしれないな、と最近思う。
いつか生々しい小説の形で人間を書きたい。
湊かなえの書くような、いや〜な小説(褒め言葉)を。
本当に何を書いてるのか分からなくなってきたな。怪文書。
そろそろ起き上がって1日を始めるか。
とうとうプロ野球もオープン戦が始まった。
春の季語、オープン戦。もう春はすぐそこ。
試合を流しながら作業しつつ、応援歌を聞く毎日がまた帰ってくる。














