2025年3月26日にnoteで公開した記事のリバイバル。
余白についての話。
無視されがちだが、余白こそ物事の本質だと思う時が多々ある。
本文中ではHSPって使ってるけど、正しくは感性が強い人、だと思う。
今朝、微睡みながらふいに言葉が浮かんだ。
人間は語らなくても語っている
言葉を使わなくても仕草や表情で何を考えているかは察せるものだ。
共感力が強い人は、言葉の裏の真意を読み取り勝手に心を痛めてしまったりする。
もしくは語らずとも居心地がいい空間が生まれるのである。
HSPというのはまさにそういった性質が強い人の事を指した言葉である。
余白が語るともいう。
引きのデザインともいう。
これも語られざる言葉なのである。
詰め込みすぎずに余白を用意する事で、共感や感性の入り込む余地を与える。
長く愛される歌というのも、歌詞をよくよく見てみると案外普遍的な歌詞だったりする。
歌に自身の思い出やなんかを重ねている事で強い共感を引き起こすのだ。
「俺が俺が」みたいな歌詞だったら「ふーんこの人はこういう感じなのね」で終わってしまい、強い共感は引き起こされないだろう。
歌に限らず「私が私が」が強い話には共感が生まれづらい。
入り込む余地がないからだ。
まるでギチギチの満員電車のように。
語り過ぎは野暮、というのはまさにこの事だ。