凡シュール

noteに合わない私が付き合い方を完全に変えた話

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最近、明確にnoteとの関わり方を変えた。
個人サイトを作ったのがきっかけ……ではない。逆だ。
そもそも個人サイトを再び作ろうと思った理由が、noteに不満点しか感じなくなったからである。

noteを長く使ってきて分かったが、noteというプラットフォームが合う人と合わない人がいる。
合う人にとっては最高のサービスだが、合わない人にとっては地獄のサービスである、と結論づけた。

noteというプラットフォームが合う人。
交流を主体にしている人、軽い日記を書きたい人。
令和版mixi日記みたいなものだ。mixi2じゃないよ、元祖の方。
あとは完全ビジネス使いをする人も向いている。かつてのブロガーと呼ばれる人たち。
アフィリエイトやAdsense収入を狙ってたような人たちだ。

書く内容よりはその届け方を重視する人向けである。
noteも結局はSNSなのだ。

逆にnoteに合わない人。
「いいね」の数字そのものよりそれがどういう経緯でついたものなのか気にする人。
評価や反応に一喜一憂したくない人。
ポジティブな同調圧に馴染めない人。
重い文章を書く人。

残念ながら私は合わない方の全ての特徴に当てはまる。

「いいね」は貰えれば嬉しいものではあるが、その内訳は分からない。
本当にこの文章がいいと思ってしてくれた「いいね」なのか、営業のために読みもせず押されたものなのか、ただの読んだという証で惰性で押されたものなのか。
言ってしまえば、結局自分の文章が読まれたのか読まれてないのか全く分からないのだ。

コメント機能もあるにはあるが、記事につくコメントの8割は「それ本当に私の文章読みました?」みたいなコメントだったりする。
そうなると本当に書く意味が分からなくなる。

コメントを閉じる機能はnoteプレミアムについている。
月500円。他の機能は、私にとって魅力を感じるものは無かった。
じゃあコメント閉じるだけで月500円?それは高い気がする。

重い文章。自分の文章が重い文章だというのはよく理解している。
言ってしまえば、noteで奨励されるのはスナック菓子のような軽い雰囲気なのに、私はミックスフライ定食を出してしまっていたようなものだ。
お菓子を持ち寄るパーティーで一人ミックスフライを持ち込んできた奴がいたら相当浮くだろう。そういう事だ。

私の文章はスナック菓子の中のミックスフライだった。
かなり気合いの込めた記事…本気のミックスフライ定食を出した後の無反応っぷりを見て、私はこの事実を思い知ってしまった。

そうか、お呼びではない。
not for me…またこれか。
ここも私の居場所じゃないな。

ここまで読んで、そんな数字など気にせずにただ文章を書き続ければいいじゃん?と思った人がいるかもしれない。
そう器用に立ち回れたらどれだけ良かっただろう。
自分がもう少し器用だったら、もう少し愉快な人生を歩んでいただろう。

noteの仕組みも使っているうちに分かったのだが、noteの記事というのは一部のバズった記事以外は鮮度というものがある。
書いて一定の時期(1ヶ月くらいだろうか)が経ったものは、おすすめのアルゴリズムからは完全に外れる。

ただの化石となり、意図的に掘り下げようと思う人がいない限り誰にも発見されなくなるのだ。
つまり、noteで書く文章は消費されているのである。
1日の少ない時間をわざわざ書く時間にあてて書いた記事。それがたった1ヶ月しか鮮度が保たれず、雑に消費されていく。

ところでnoteを書く人の心理。なぜnoteで文章を公開するのか?という点。
誰かに読んでほしい」からわざわざnoteで文章を書いているのではないのか?
本当に誰にも読まれなくていいのなら、紙の日記でいいはずだ。デジタルならメモアプリでもいい。その方がリスクも無い。
わざわざnoteというプラットフォームを選ぶ理由は、誰しもが多かれ少なかれ読まれたいと思っているからでは?

私だってそうだ。
数字はどうでもいいが、誰かに読まれたという気配感触は欲しい。

noteのとてもいやらしいと思っているところがある。
noteを始めるとまず「自己紹介記事を書こう!」とオススメされる。
その自己紹介記事は内容問わずたくさんスキがつくが、その後の記事はさっぱり…という経験をした人も多いのではないだろうか?

いわば「自己紹介」というのはチュートリアルであり、ウェルカム仕様なのだ。
どういう理屈かは分からないが、自己紹介記事が異常に伸びやすい仕様となっている。
おそらく営業目的のイイネが1番しやすいからなのではないだろうか。
どこの世界でも初心者はカモにされるものである。

そうやって最初に成功体験をさせて、「最初の成功をもう一度」とユーザーに思わせる。

まるでギャンブルのようではないか?
カジノなどでも最初だけわざと勝たせ、成功体験を与える事によりのめり込ませるという手法を取っている。

ユーザーに定着してもらうための素晴らしい工夫だ。素晴らしすぎて、それはもうおぞましい。

と、ここまで書いたらただの文句を言う人である。
ここでようやく冒頭に戻るが、私はこんな理由でnoteに見切りをつけてしまった。

ではどうするか?個人サイトへの回帰だ。
noteは記事を積み上げたところで誰にも読まれない化石になるだけだが、個人サイトは積み上げれば積み上げるだけ記事という自分の資産が増えていく。
読んでほしい記事は公開時期関係なく目立つところに置けばいいし。自由自在。

幸い私は過去にWordPressで作ったサイトを持っていた。
そのサイトは閉じてしまったが、その頃のノウハウがあるので新しいサイトを作るのは比較的容易だった。
(デザインにこだわり自作テーマ…しかもブロックテーマを作り始めたのでそこは大変だったが)

WordPressだとレンタルサーバーを借りたり少しハードルが高い。
そんな人向けにWordPress.comという簡易版?みたいなものもある。
これは使用感自体は本体のWordpressと変わらないながら、サーバーを借りる必要がない。
本体に移行したくなったら移行も容易に行える。
デメリットは、広告が入るところ。

最初にお試しでWordpress.comで始めてみて、あとから本格運用したくなったらWordpress本体に移行する…なんて事も可能だ。

それもハードルが高いと言えよう。
それならJimdoWixなどのホームページ製作サービスもある。
これらのサービスはスマホでも出来る。

気になるなら調べてみたり、AIに聞くなりしてみるといいと思う。
いつか紹介記事みたいなのも書きたいなぁ。

個人サイトへ移行して、noteとは完全バイバイ!
するのではなく、noteの使い方をガラッと変える
冒頭でも私は「noteをやめた」とは言っていない。
「付き合い方を変えた」のである。

毎日のルーティーン。
まず日記をwordpressの自サイトで公開する。
その文章(大体毎日1000〜2000字くらいだ)をChatGPTに「noteにウケそうな形で500字にまとめて」と指示する。
そのまとめてきた文章と記事へのリンクをコピペ。
500字抜粋だと言いたい事もだいぶ削ぎ落とされてしまうのだが、それはもはや気にしていない。
これでnoteも毎日更新している。

noteをただの入り口として機能させているのである。
これは他のSNSも一緒だ。
これらはただの入り口。もう私の感性のコアを置く事はない。
外層部分をチラ見せさせてるだけだ。
Twitter、ブルスカ、Threads、mixi2には記事の一文まとめとリンクを貼り付けている。

最近の私はそんな感じだ。
私は自サイトでだけ、感性を思う存分曝け出せる。
もはや評価も関係ない。
幸い、自サイトには記事のトップに堂々とイイネ欄が鎮座する事もない。
コメント欄も閉じてるから的外れなコメントがつく事もない。
共有しているSNSにはそういうコメントがつく事もあるかもしれないが、外層に変なコメントがついたところで、記事そのものが汚れる事はない。

そんなわけで、個人的にいい環境構築が出来たと思う。
今現在noteに居心地の悪さを感じている人がいれば、個人サイトというものもあるよ、という視点の提示。
結局noteを続けるのか、それとも個人サイトを始めてみるのかは個人の自由だ。
この記事はただの提案に過ぎない。

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