凡シュール

noteというセラピー

凡シュールのエッセイ

2021年2月12日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

この考えはまさにそうで、そもそも2020年に狂人一歩手前だった私が何とか踏みとどまれたのは、思考の言語化をひたすら行っていたからだと思う。

言語化という理性で何とか繋ぎ止めてた感じ。

そして言語化を極めまくり今に至る。

胡散臭そうなタイトルだが、別に何てことない文章だ。 noteを始めて1年経った。 まさかこんなに続くとは思わなかったし、最近は毎日更新している。 もはや習慣の一つだ。自分でも驚いている。

書く事はだいたい自分が日々思った事なんかだ。 自分の中で生まれた感情を試行錯誤して文章化する。 よく書けたと思う時もあるし、怪文書みたいになったなぁと思う時もある。

自分の感情などを赤裸々に綴る事で、見えてくるものがある。 書いているうちに「あっ、自分は実はこういう事を思っていたのか」と認識したりする。

文章に著す事でなんか心もスッキリする。 よく分からないけど、モヤモヤしてた事の答えが見える気がするのだ。 だから文章を書くのは私にとってセラピーだと思っている。

先日のCreepy Nutsのライブでも、R-指定が「ラップのリリックを書く事は俺にとってセラピーみたいなものだ」と言っていた。 セラピー。 普段の感情、思いを表現する事によって心が落ち着く。 それは案外誰でも持ち合わせてるんだろうなと思う。

一般的なセラピーらしく人に悩みなどを話して落ち着く人もいるだろうし、創作で表現する事で落ち着く人もいる。 私みたいにnoteで駄文に著す事で落ち着く人もいる。

別にnoteじゃなくてもいい。 メモ帳アプリでも、紙の日記でも、チラシの裏でも。

でも何か自分の感情を外に出す手段を持っておくといいと思う。

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