2021年2月12日にnoteで公開した記事を移行したものです。
胡散臭そうなタイトルだが、別に何てことない文章だ。
noteを始めて1年経った。
まさかこんなに続くとは思わなかったし、最近は毎日更新している。
もはや習慣の一つだ。自分でも驚いている。
書く事はだいたい自分が日々思った事なんかだ。
自分の中で生まれた感情を試行錯誤して文章化する。
よく書けたと思う時もあるし、怪文書みたいになったなぁと思う時もある。
自分の感情などを赤裸々に綴る事で、見えてくるものがある。
書いているうちに「あっ、自分は実はこういう事を思っていたのか」と認識したりする。
文章に著す事でなんか心もスッキリする。
よく分からないけど、モヤモヤしてた事の答えが見える気がするのだ。
だから文章を書くのは私にとってセラピーだと思っている。
先日のCreepy Nutsのライブでも、R-指定が「ラップのリリックを書く事は俺にとってセラピーみたいなものだ」と言っていた。
セラピー。
普段の感情、思いを表現する事によって心が落ち着く。
それは案外誰でも持ち合わせてるんだろうなと思う。
一般的なセラピーらしく人に悩みなどを話して落ち着く人もいるだろうし、創作で表現する事で落ち着く人もいる。
私みたいにnoteで駄文に著す事で落ち着く人もいる。
別にnoteじゃなくてもいい。
メモ帳アプリでも、紙の日記でも、チラシの裏でも。
でも何か自分の感情を外に出す手段を持っておくといいと思う。
追記(2025年6月23日)
この考えはまさにそうで、そもそも2020年に狂人一歩手前だった私が何とか踏みとどまれたのは、思考の言語化をひたすら行っていたからだと思う。
言語化という理性で何とか繋ぎ止めてた感じ。
そして言語化を極めまくり今に至る。






