2025年4月24日にnoteで公開した記事のリバイバル。
明確にnoteというプラットフォームについて疑問を持ち始めた時期。
読まれたいからって没個性に身を投じて…
それもうお前が文章書く必要ないじゃん、と思う。
なろう小説。いまやすっかり定番になった。
なろう小説といえば、異世界転生と呪文ばりに長いタイトルがお決まりである。
ネットの小説投稿サイトは、まず読んでもらわなければ始まらない。
そこであらすじをタイトルに入れ込んでどんなストーリーなのか分かりやすくし、アクセス数を稼ぐようにしたという背景がある。
作者の読まれるための工夫によるものだ。
しかしそれが一般化して、なろう小説のタイトルはこういうものというテンプレが生まれてしまった。
なろう小説タイトル並び替えゲームなるものも誕生した。激ムズ。
試しになろうっぽいタイトルをAIに生成してもらった。
- 「ブラック企業を辞めたら異世界で最強スキル“お茶くみ”を授かって、なぜか国王に気に入られた件」
- 「最弱職だと思っていた【調味料錬成士】が実は世界を救う唯一のチート職だったようです」
- 「婚約破棄された令嬢ですが、冷酷公爵様に拾われて溺愛されているので無問題です」
- 「魔法が一切使えない俺が、なぜか“魔法学園”の教師に任命されたんだが?」
- 「死に戻りループ99回目、ついに完璧な人生ルートを見つけたので今度こそ幸せになります」
ありそうすぎる。
本屋のなろう小説コーナーに並んでいても全く違和感がない。
やはりタイトルで、ストーリーの流れと何がモチーフなのかが明確に示されている。
初めて見たら「うわっ」と思う人が多いかもしれない。
この手のタイトルを見たら反射的に「またなろうか…」と避ける人も結構いそうである。
まるでネットの広告を無意識で飛ばしているかのごとく。
そして本題のnote記事のタイトル。
これもまた、なろう小説と似たような現象が起きていると感じる。
noteの人気記事でありがちなタイトルを、これまたAIに生成してもらった。
- 「忙しい朝でも10分で作れる、私の即席朝ごはんベスト5」
- 「“やらなきゃ”が消えるタスク管理のコツ、全部書きました」
- 「息子が保育園で泣かなくなった日。親の心が追いつくまでの話
- 「ママ友との距離感、なぜかうまくいく人とうまくいかない人の違い」
- 小さな書店で出会った、誰にも勧めたくない最高の1冊
これまたありそうすぎる。再現度高くて笑ってしまった。
さすがAI。没個性のテンプレ文を生成するのが上手い。
おそらくSEO対策やアクセスアップの為の引っ掛かりを狙ってこのような長いタイトルにしているのだろう。
だが私はこのテンプレタイトルの時点で読まない。
中身もお察しだからだ。
「あぁ、またテンプレか…」とやはり広告をスルーするかのごとくスクロールで流してしまう。
なろう小説といい、note記事といい、なぜ私はテンプレに惹かれないのだろうか?
それはおそらく余白の少なさだと思う。
開く時の「どんな話だろう」といったワクワク感が無いのだ。
どんな話も何も、全てタイトルで説明されてしまっている。
楽しみを奪われているのである。
だから「あー…そういう話ね、はいはい」と自動でスルー対象になってしまう。
そもそも「アクセス数が増えるから」とみんながみんなテンプレタイトルにしたら、普通に埋もれるだけだと思う。
没個性に自ら身を投じているようなものだ。
現に、私が現在noteでフォローしている人の記事は、タイトルが短い人が多い。
当然だ。テンプレタイトルの時点で読まずに弾いているからだ。
弾いているので知るきっかけが無い。
結果、短いタイトルの人ばかりフォローする事になっている。
テンプレタイトルが一概に悪とは言わないが、このような人間もいる事を知ってほしい。
実は似たような人は結構いそうである。サイレントマジョリティ。