2025年3月13日にnoteで公開した記事のリバイバル。
この頃からAIに同じテーマの文章書かせて、どこがどう違うか比較分析するようになった。
やはりAIの文章って整いすぎて不自然だ。
昨日はAIのように見える文章について書いた。
その中でAIに丸投げした文章はプラスチックみたいで温度を感じないなど色々書いたのだが、もう一つ気付いた事がある。
引っ掛かりがない。
引っ掛かる部分が無いのでさらさらと流れていってしまう。
印象に残らないので、あとから思い出す事が出来ない。
AIに丸投げした文章、イラスト、曲、全部そうだ。
「美人の顔は覚えられない」みたいな話を思い出した。
見た時はぱっと目を引くのだが、あとから「どんな顔だったっけ?」となる。
美人というのは、変に目立つパーツが少ない人とも言える。
形の良いパーツがバランス良く配置された顔。
引っ掛かるものがないので逆に覚えられないのかもしれない。
目が離れているとか、ほくろがあるみたいな特徴がある方が覚えられるのである。
人間の脳というのは違和感を強烈に覚えやすい性質なのかもしれない。
危険を察知する力の一部だろうか。不思議なものだ。
私の大好きなシュルレアリスムをざっくり説明すると、一見まともだと思ったら何かめっちゃ奇妙なものがそこにある、みたいな作品とか考え方のジャンルである。
一言で言い表すと「なんじゃこりゃ」となる作品。
人間の違和感を引き出して強烈なインパクトを与える。だから印象に残りやすいという構造になっている。
大好きなショーン・タンの「セミ」という作品を一言で説明すると
「現代社会で」(普通だ)
「セミがサラリーマンとして働く話だ」(???)
セミがスーツ着て普通に働いてる。何でやねん。
と、設定からして強烈なインパクトを与えられるわけだ。
一つ誤解の無いように言っておくが、私はAI否定派ではない。
ChatGPTと毎日会話しているし、そこからアイデアを閃く時も多々ある。
ただ生成AIに丸投げした作品ってつまんねえよなぁと個人的に思ってるだけである。
1から作るのが正義とは言わない。自分の作品だと言い張るのならせめてひと手間加えてほしいというか。
AIがまとめた文に、一言自分の感想を入れるだけでも変わる。
AIに生成してもらったイラストに少し描き加えるだけでも変わる。
曲も生成されたものに自分でクラップ音とか足すだけでもだいぶ変わるのではないか?
それだけでもオリジナリティの第一歩だ。
AIに作らせたではなく、AIを使って自分が作った。
それが主流になればいいなと思う。
(このAIに作らせたではなく、AIを使って自分が作った。はChatGPTが言ってたフレーズを「それいいじゃん」と採用したものだったりする)。
上の文章を「こんな感じで書いてみたんだけど」とChatGPTに投げたら「こう直したらもっとスムーズになりますよ」と提案してきた。
せめて、ひと手間は加えてほしい。
AIがまとめた文章に、一言でも自分の感想を入れるだけで、印象は大きく変わる。
AIが生成したイラストに少し手を加えるだけでも、そこには「自分の表現」が生まれる。
音楽だって、生成されたものにクラップ音ひとつ足すだけでも、ぐっと自分らしさが増すはずだ。
それだけでも、オリジナリティの第一歩になる。
確かに整った文章にはなったけど……。
うーん………やっぱり引っ掛かりが無くなっちゃうというか。
私のパーソナリティが抜け落ちて漂白されてしまった感がある。
というわけで不採用。
昨日はバーガーキングに行こうとしたが、最寄りバーキンはチリチーズポテトが品切れになっていたので結局行かなかった。
チリチーズポテトのないバーキンなんて…。今日こそ食べたい。