凡シュール

創作は究極の遊び

凡シュールのエッセイ

またもや出涸らしモードだ。
最近はずっとこうだな。

最近は創作についてずっと考えている。
学習用に模倣したものがあるとして、それをどんどんアレンジして自分の色が出せた時、自分の作品と名乗れるようになる。
そのプロセスについてひたすら考えていた。

模倣とオリジナルの境目はどこなのか。
ここを厳格に定めないと大変な事になる。
ただのパクリマンになってしまうからだ。

インプットの技能抽出方法についても考えていた。
どのように技法を分解して自分の作品に落とし込むべきか。
ただの模倣になってしまわないようにするにはどうするのか。

一生NotionのDBと睨めっこして、思考を働かせていた。

非常に疲れる頭脳労働だ。
が、このシステムを上手く構築出来ればおそらくスランプマンネリとは無縁になりながら自分の作品を量産出来るようになるだろう。

技術を学ぶという観点において、世の中のあらゆるものは素材である。
こう書くと生成AIと全く同じロジックに見える。

ただ生成AIが無差別に学習するのに対し、私のロジックでは自分の好きなものから技法のみを抽出し、自分で取捨選択しながら作品に落とし込む…というステップを踏んでいる。
その段階で著作権的な分類もして、ただの模倣や模写、アレンジ、二次創作、自分の作品と分けている。
つまり元作品へのリスペクトを持ち合わせている。

模写やアレンジはあくまで研究対象や習作扱い、二次創作は場合によりけり、一次創作は堂々と自分の作品と名乗って発表出来る。
数多の技法をクリーンに学習出来るわけだ。
学習するだけでなく、自分で組み合わせを好き勝手に変えたり、技法を発明してもいい。

研究、実験。
…いや、もはや遊び場に近い。

創作って実は究極の遊びなのかもしれない。

存分に遊ぶための場所…もといシステムを練り上げているようなものだ。
正直早く遊びたくてうずうずしている。

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