凡シュール

料理と向き合ってみる

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私はここ何年か、ずっと料理というテーマと対峙している。

料理は好きな方…のはずだ。
しかし片付けはめんどくさい。
そして習慣にしづらい。

片付け以外にも買い物に行き、食材を腐らせないよう管理したり…。
思いの外頭を使うし、高度な事を求められるのが料理である。

とにかくズボラな人間には厳しい習慣だ。

しかしズボラな人間でも工夫次第で毎日料理を作れるのでは?
ずっと考え続けている。

そもそも料理の現状。
見ずに作れる慣れたレシピを何度も繰り返し作る。
様々なレシピをインプットして、都度どのレシピを使うか選ぶ。

前者は飽きるし、後者はいちいち選択するめんどくささが伴う。
これでは結局続かない。

どうすればいいのか。
ずっと考え続けている。

ただ、最近気付いた事。
同じ具材・調理法でも、味付けを変えれば案外飽きない

つまり1つのレシピを具材・調理法と味付けの2つに分解して、組み合わせを変え続ければいいのではないか?と。

例えば肉じゃがのレシピ。
毎日肉じゃがが出てきたら当然飽きる。

しかし肉じゃがの味付け部分を、例えばたらこバターに変えてみる。
別の料理に様変わりする。

逆にたらこバターの味付けを、別の日にはサラダのドレッシングとして使ってみる。
きっと美味しいはずだ。

レシピの分離と再構築
味付け部分はレトルトや出来合いのソースを使ってしまってもいいはずだ。

そして料理の創作化である。
何と何を組み合わせれば美味しいのかは、調理人次第。
こうする事で、使い所がよく分からず1度使ったきりのソースにも出番が回ってくる。

カルディーで見つけた気になる謎のソースを気兼ねなく買えるようになるのではないか。

とはいえ、皿洗いのめんどくささは変わらないのだが。
食洗機欲しいけどスペースが無いんだよな。

料理との付き合い方は難しい。
しかし生きていく上で食事とは切っても切り離せない。
どうせ食べるなら美味いものが食いたいし、なるべく元気に長生きはしたいものだろう。

そうなると、料理の事をめちゃくちゃ考える価値というのはあるはずである。
いまだ模索中。

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