凡シュール

才能の正体

凡シュールのエッセイ

2020年7月31日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

才能について持論を展開しつつ、後半で美術館に行ってきたレポート。

今読んでも色褪せないなぁ。

才能という言葉。

「あの人には才能がある」「私には才能がないから」「才能は努力でカバー出来る」

才能って一体何なんだろうか。

辞書を引くと、”ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力”とのこと。

最近よく思うのが、世間で言われている才能というものは少し誤認されているんじゃないかと思う。

分野関係なく、人には持って生まれた資質がある。

もともとそれなりに絵が上手いとか、野球が上手い子だったとか。

個人の資質、これがいわば初期ステータスだ。最初から高い場合もあるし、低い場合もある。

その資質の段階で判断してしまっている人が多い気がする。

”才能は努力で補える”とよく言う。

初期ステータスが人並みかそれ以下でも、努力次第で才能は伸ばせるという事だ。追加ステータスだ。

実際そうなのかもしれないが、それも少し違う気がする。

私は、その努力というものを努力と思わないのが才能なんじゃないかと思う。

実例を挙げると、私は編み物が好きだしそれなりに得意だと自負している。

だが、小さい頃はすごく不器用だった。編み物なんてもってのほかだ。

つまり初期ステータスは低かったのだろう。

しかし何年か前から思い立って編み物を始めた。

最初は正方形のコースターすらろくに編めなかったが、少しずつ練習を重ねて色々なものが編めるようになった。まだ編めないものもたくさんあるが、少なくとも始めた頃よりはだいぶ上達した。

いわゆる、努力で才能を補ったパターンだと言えるかもしれない。

しかし、編み物の練習は苦に感じなかったし、楽しかった。色々な編み方、どんなものが編めるのか知るために書籍を何十冊も読み漁った。

「あれを編むためにはどうすればいいんだろう?」と一日中考え込む事もあった。他の事をやってても編み物ばかり考えている時期もあった。

つまり、一般的に努力と呼ばれる部分を努力と思っていなかったのだ。

何かあれもこれも編みたいと楽しくやっていたらいつの間にか上達していた。

努力を努力と思わないこと。

それが才能の正体なんじゃないかなと思う。

最近の自分だと絵がそれだ。

もともと大して上手くないし、今もまだ練習真っ最中という感じで、そんなに上手くはなってない。だが、ほぼ1日中絵の事を考えている。

美術館に行けば構図や色使いの妙に「ふむふむ」と感動し、画集やアートブック、技法書を読み漁り「こんな表現、技法もあるのか」と感心する。最近は絵本の挿絵にも注目している。

牛歩のような速度であるが、少しずつ実践して上達してきているとは思う。

でも、これも「他人に褒められたい!」「プロになりたい!」とかいう気持ちでやっているわけでもない。努力しているという感じでもない。

ただいろんなものが描けるようになるのが楽しい、それだけだ。

最近は他の事をしてても絵の事について考えているし、道を歩いていても、町の風景を眺めながら空間把握とかパースの事について考えている。町中に溢れるデザインを見ては知らず知らずのうちに「これは自分の絵に活かせそうだ」とか考えている。

もしかしたらこれは努力と呼ばれるのかもしれないが、やっぱりこれも自分では努力しているという感じではない。楽しいと思うから必然的にやっているに過ぎない。

これが才能の正体だと私は思う。

だから、「私には才能がないから無理」と言うのは何か違うと思う。

どんなものでも、素質がなくても努力でいくらでも上達出来る。

もちろん努力だけじゃカバー出来ない部分もあるかもしれない。例えば背が低いスポーツ選手。背の低さは努力ではどうにもならない。でも背が低い部分を他の部分でカバーしてプロで活躍している人はたくさんいる。

努力を努力と思わないほどハマれるものなら、勝手に楽しみながら色々なものを吸収して上達する。

だから「自分には才能がない」と言う人は、実はそこまで興味を持っていないとかなんじゃないかな。ハマってないのかもしれない。

何か上手く纏めきれていないが、これが私の才能論だ。

ーーー

昨日は国立西洋美術館にロンドン・ナショナル・ギャラリー展を見に行った。

このご時世なのでチケットは全て前売りで、時間ごとに区切って販売されている。13時入場のチケットを取った。

少し早めに家を出て、銀座の蔦屋書店に行ってみた。

初めて行ったのだが、凄い。アート系に特化している店らしく、画集やら写真集が大量に揃えられている。

美術館の図録もいくつかあった。なんならこれから見に行くロンドン・ナショナル・ギャラリー展の図録もあった(笑)

去年から各地でやっているミュシャ展の図録がいい感じだったので買ってしまった。

あと「はじめての絵画の歴史」という、大人も子供も楽しめるようないい感じの本も見つけてしまったので買った。

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入口がとても分かりづらい以外は良い店だった。人も少ないし穴場かもしれない。

店内はほとんど人がおらず静かだったので、1日中いられそうな感じだったが、美術館に行かなければならないので上野に移動。

ちょっと早かったのでヤマシロヤに寄っていく。上野の大きなおもちゃ屋さんだ。地下のぬいぐるみコーナーに癒されつつ、物欲を堪えて何も買わなかった。

さて、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展。入場は少し列が出来ていた。列は当然ソーシャルディスタンス仕様。

時間区切ってる影響か、人はそこそこいるが混雑というほどでもない。絵によって人が5人以上群がってると思いきや、他に誰も見てなくてゆっくり見れる作品もあったり。

ルネッサンス期の作品は聖書関連の絵が多いが、宗教画って聖書の二次創作だよなと思う。こんな言い方したら怒られるかな。

色々な画家の様々な解釈が楽しめる、といったところか。

貴族の肖像画は背景を暗くして、人物をとことん明るくすることで際立たせている。肖像画なのでキメ顔が多い。当たり前だが、綺麗なお人形さんみたいな感じの絵が多い。

最後のあたりでようやく印象派の絵が出てくる。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは印象派の流れに乗るのは遅かったとのこと。当時の時代の最先端はやはりパリか。

今回の目玉であるゴッホのひまわり。

やはり素晴らしい作品だった。全体的に黄色を使ってとにかく明るい印象がある。そして、何よりもこの作品_いやゴッホの作品全てに言える事だが_からは生命力を感じる。

やっぱりゴッホ好きだなぁ。

図録とミニ複製画を勢い余って買い、上野を離脱。

大手町まで歩く事にした。ちょうど歩くのに楽しいルートだ。

ただ、荷物が重すぎてしんどかった。登山並である。

秋葉原もルートに入っていたが、店などに寄る余裕はなかったので通り過ぎた。

ゼイゼイ言いながら大手町に到着。

丸の内オアゾの丸善へ行く。とにかく疲れ果てて座りたかったので、優雅に丸善カフェでお茶する事にした。が、近くで打ち合わせ中のおじさん達。

店内に響き渡る大きな声で打ち合わせする外国人のおじさん。

せめてマスクしてくれ。

しまいには後ろの席から咳が聞こえてくる。だめだこりゃと早めにお茶を飲み干し、席を立つ。コロナの感染者数も増え続けるわけだ。私がコロナに罹ったら笑ってくれ。

絵本コーナーを眺めつつ、美術コーナーもついでに見る。

「ソッカの美術解剖学ノート」と並べて置いてあった「キム・ラッキの人体ドローイング」という本が気になった。どうやらソッカの〜の作者イチオシの話題作らしい。

キム・ラッキの人体ドローイングwww.amazon.co.jp5,500円**(2020年07月31日 23:07時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する

パラパラとめくってみたらいい感じだったので、勢い余って買ってしまった。そんな感じでヘトヘトに疲れた一日だった。

その反動で今日は一日中家にいた。疲れていたのかよく眠った。刺繍が少し進んだくらいか。

ーーー

こういうわけで最近は絵の事ばかり考える日々を過ごしている。

考えるだけじゃなくて手も動かさないとね。

好きこそものの上手なれ。

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