凡シュール

シュレディンガーの猫

凡シュールのエッセイ

2020年5月3日にnoteで公開された記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

とにかく自分の存在価値というものを問うている。

自分が幽霊になったような錯覚。今でもたまに陥る。

前ほど辛いとも思わなくなったが。

幽霊になって誰にも見えてないなら見えてないなりに好き勝手やらせてもらうさ。

シュレディンガーの猫といえば、量子力学の有名な思考実験である。 箱の中に猫を入れて50%の確率で死ぬ毒ガスを流したら、箱を開けた時に猫は生きているのか死んでいるのか?それは観測するまで分からないが、箱を開けるまでの間、生きている猫と死んでいる猫が存在する事になる、といった内容だ。だいぶざっくりだが。

暗闇に一人寝転がって、眠る事もままならない夜。 誰にも認知されていない私。果たして生きているのか、死んでいるのか? もちろん生きているだろう。それでも、たまに自分が幽霊になったような気分になる。世界中の人_といっても私を知っている人間はごく僅かに過ぎないが_その私の世界の人全員に存在を忘れ去られてしまったら。 この思考に陥るのは、いつもベッドに一人で寝転がっている時だ。

誰も私の存在を気にかけもしない、それは死と同義なのではないか?

だから私はこうしてnoteで生きているという事を叫び続けてるのかもしれない。

ただ思考を纏めたいだけなら、手元の紙にでも書き殴ればいいはずだ。どうしてわざわざnoteというプラットフォームで特に面白みもない思考を発信しているのか?

おそらく自分が生きているという事を誰かに知ってほしいのだ。 生を叫ぶ。ただそれだけだ。

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