正論という名の武器

凡シュールのエッセイ

2021年1月14日にnoteで公開した記事を移行したものです。


自慢の武器を振りかざす
周りはズタボロになっていく 上がる血飛沫 だがそれには気付かない
更に振り回す 赤黒い水たまりが出来ていく だんだん気持ち良くなってきた

正論という名の武器 いや凶器か


当たり前だが、正論はいつでも正しい。
正しいからこそ正論と言う。

だが時として、正しさは人を傷つける。
正論や正義は無闇に振りかざすものではない。


過去形だが、昔の知り合いに”理論武装おじさん”がいた。
彼が言うのは常に正論。理詰めで相手を言い負かすのが好きなタイプだった。

このおじさんが、とあるコミュニティでメンヘラと揉めた時がある。
コミュニティ内でメンヘラが若干めんどくさい発言をした。
「私なんて…」で始まるお決まりの文句である。まあめんどくさいやつだ。

そこで理論武装おじさんの登場である。
彼は「私なんて…と愚痴る前にそれを何とかする努力をしろ」みたいなニュアンスの事を言った。実際その通りではある。正しい。

そして揉めに揉めながら相手を論破した。

結果メンヘラはそのコミュニティを抜け、おじさんはしたり顔で「メンヘラめんどくさwww」と私にチャットで話しかけてきた。
(いや、あんたも相当めんどくさいよ…)と思いつつ、「メンヘラに正論言っても火つけちゃうだけかと…ただ地獄が巻き起こるだけですからほっといた方が無難ですよ〜…」みたいな事を言葉を濁しつつ言った。
もちろん伝わらなかったが。


実際にメンヘラと理論武装タイプは双極の存在である。
決して交わる事のない水と油のような関係。
ここが関わり合ったら地獄が誕生するし、巻き込まれるのは周囲の人間である。
迷惑な話だ。

メンヘラも確かにクソめんどくさい存在だ。
奴らは常に自分さえ構ってもらえればそれでいいと思っている。
他人の事なんかお構いなしだ。関わりたくない。

だが、それはそれでいいと私は思う。
彼らには彼らの正しさがある。
それが世間的に正しい事じゃなくても。
そんな人らに、いちいち正論を振りかざして噛み付く必要はないと思う。

正直、私に迷惑さえかからなければ別にどうでもいいし、好きにすればいい。
ただ関わりたくはない。

第一こんな連中を論破したところで気持ちいいんだろうか、という思いがある。
弱い者いじめでしかないじゃん。

いや、正論を振りかざす快感はぶっちゃけ分からなくもない。
たまによく分からない難癖をつけて喧嘩を吹っかけてくる奴が現れた時だけ、私は正論でいなす
そんな時、ぶっちゃけ快感も覚えている。
自分の醜さに嫌気がさす。

先に述べた理論おじさんとは長い付き合いだったし、よく見てきたので、私はこうはなりたくないと強く思ってきた。
だからよっぽどの事がない限り、正論で相手を殴りつけないように気を付けている。
しかし、私も下手したら理論武装タイプになりかねないなと最近危機感を抱いている。

まあ時として正論を振りかざさなきゃいけない時もあるのだが。
コミュニティの管理人をやってる時がそれだ。
本当にどうしようもない時(例えば場の雰囲気がめちゃくちゃ悪くなるとか)は正論という武器を使うし、相手を論破しにかかる。
ひどい時はBANなどの制裁も下す。

暴君ってこんな風に誕生するのかなとふと思う。
こちらとしては円滑な運営のために仕方なくやっている節があるのだが、制裁される相手からすれば暴君にしか見えないだろう。

やれやれ、難儀な立場だ。
コミュニティの管理人なんて滅多にやるもんじゃない。
少なくとも無償でやるもんでは決してない。
何が悲しくてこんなボランティアやってるんだかという気になる。

つい愚痴っぽくなってしまった。

20世紀最凶の暴君であるアドルフ・ヒトラーだが、彼の事が何となく憎みきれないのはそのへんに理由があるのかもしれない。
いや、決して許されるべき存在でないのは確かだが。
彼について詳しく知っているわけではないので、そのうちヒトラーの本でも読んで彼についてきちんと学んでみようかなと思っている。
なかなか読む時間がないが。

別に彼になりたいわけじゃなくて、その逆だ。
彼のようになりたくないからこそ知りたいのである。
別に私は一国を担っているわけでもないし、私のコミュニティなんてドイツに比べたら遥かに小規模なものだ。
だがそこから学べるものはあるような気がする。

もう何の文章書いてるのかわけわからん。寝よう。

追記(2025年6月23日)

この理論武装おじさんとメンヘラの例、まさに理性と感性の衝突だなと思う。
結局ヒトラーについてたいして学んでないな。
映画見たいなぁって思ってそのまんま。