2020年5月15日にnoteで公開した記事を移行したものです。
HSPというものを知った。
ハイリー・センシティブ・パーソン。
人よりも刺激に敏感に反応してしまう性質を持った人のこと。
このHSP、調べてみると自分に当てはまる点がかなり多い。
以下は自分がHSPだと思う特徴である。
- 小さい頃から色々気にして人に何かを聞く事が出来なかった。店で探し物する時も、店員さんに聞く時は相当な勇気を出さないとだめだった
- トイレに行きたいとすらなかなか言えない内気な子供だった
- 仕事で誰かに聞きたい事があっても、相手が今忙しくないかなどが気になって何分か悩む事が多かった
- 電話も苦手だった。今でも知らない番号、知ってても相当親しい人じゃないとなぜかすぐに出られない
- テレアポのバイトをしていた事があるが、電話をかける前は毎回緊張していた。割り切る事が出来ず、相当な精神力を使った
- CDショップで働いてた頃も、入荷の電話連絡でかなり精神力を使っていた
- 同居人のマウスをカチカチとするクリック音がやたら気になる(クリッカーゲームをやってるから尚更)。聴覚過敏な節がある
- 生きづらそうだねって言われた事がある
- 店員さんが話しかけてくる系の店が苦手。服屋とか美容院とか
- 急に何もかも遮断して一人になりたい時がある
- 怒ってたり機嫌が悪い人を見ると、その対象が自分じゃなくても怯える。自分のせいなんじゃないかという気にもなる
- 他人にどう思われるかが不安で自分の本心を出す事が出来ない、そのおかげで親友のようなものがいたことはない
- 少しだけ本心を出してみても相手に迷惑かけたんじゃないかと罪悪感に捉われる
- 仕事やバイトをやめる時の「やめます」を言い出すまで相当怖くて悩んでいた。どういう反応をされるか何通りもの脳内シミュレーションをしていた
- 嫌いな話題になっても態度にあらわす事もせずにきちんと聞いてしまう。終わった後一人になってからどっと疲れる。
- 興味ない話題でも相槌くらいはしないと、とか色々気にしてしまう
- 人と会うのは楽しいが後から疲れる事が多い
- それを自覚するようになってから乗り気じゃない時は少し断れるようになったが、罪悪感に襲われる
- 散歩して空を見上げただけ、足元の花が綺麗なだけですごく幸せな気持ちになる
- 登山やキャンプをすると大自然を体で感じ取って幸せになる
- それを一緒に歩いてる人に話してもあまりいいリアクションがかえってこなかったりする。え、反応それだけ?となってしまう
- ドラマやアニメを見てると感情移入しがち。なんなら製作者の意図や心境すら読み取る
- そのためどっと疲れる。何となくで見る事が出来ない
- 美しいものやいいものを選び取る感覚は人一倍強いと思う
- SNSやブログで、共感出来る人にコメントやリプライしたいなと思っても、相手がどう思うか(実は私は嫌われてるんじゃ…など)気にして結局何も出来ない
- たまにTwitterの独り言にリプライが来ると返さなきゃとめちゃくちゃ気を使ってなぜか疲れる
- 人混みが嫌でヘッドホンで音を遮断するなどしていた
- 常に相手の顔色を窺う節がある
- 臭いに敏感。都内の繁華街などの下水臭さが無理。逆に家で自炊した後、部屋に広がるおいしそうな香りで幸せになる。
- 八方美人
- 仕事が休みの日でも、次の出勤日の事を考えていた。今思うと、休日の終わりは多分常人の何倍も苦痛だったんじゃなかろうか。
- ちょっとした声のトーンなどで「この人今日は調子悪いな」などがわかる
- やりがいの感じられない仕事を割り切ってやるというのが苦痛すぎて全く出来なくなった。給料が良くても自分がその仕事にやりがいを見出せなかったら出来ない
- 些細な事で言い争いしている人たちを見て、何で相手の意図が分からないんだろう?と疑問に思う(思うだけで介入はしない)
ざっと思いつくだけでこんなとこだろうか。
小さい頃はこれが当たり前だと思っていたが、大人になるにつれ自分は少し変わってるのかなと思うようになった。
人より敏感で生き辛い性格なのだと。
あるいは、診断を受けてないだけで実はどこか精神に障害があるのではないかと思っていたりもした。
HSPは5人に1人は持ち合わせてる性質なのだと知り、少し気が楽になった。
同居人や他の人との感覚のズレ。
違和感はこういうところから来ていたのかと。
“繊細さん“の本を読み、この繊細さは克服しなくても付き合っていける事を知り、更に気持ちが楽になったような気がする。
そんなわけで、もう少し気を緩めて生きていけたらいいなと思う。
手始めに、今日はやらなきゃいけない事は何もしない事に決めた。
やりたくなったらやる。何もしないをするのはいつぶりなんだろう。
好きな事ばかりだからまだいいものの、私はここ何年もずっと何かをしていた気がする。明確に暇という時間がなかった。
そんな時間を作るのを恐れていた。
疲れていても休む事はしなかった。
毎日が休日のようなものであり、毎日が仕事の日のような感覚だった。
境目など無かった。
この繊細さは生き辛い。
だが、何かを創造するのにはうってつけの性質だと思う。
私が結婚する直前の両親顔合わせの時のこと。
親父が「こいつは何か物を作らせるのに向いてます」と言っていたのを思い出す。
素晴らしい父親とも言えなかったが、私の性質はきちんと見抜いていたらしい。
何か上手く文章纏められないけどいいや。
今日はやりたいことだけやろう。
追記(2025年6月21日)
これは当時の私が初めてHSPという言葉を知った時の文章だ。
当時の私にとってはHSPというラベルが必要だった事が分かる。
いまやそれすら飛び越して理性感性論という持論すら確立してしまったが。
ちなみに持論によると、HSPというのはあくまでも感性が発露した結果であり、現在の理性社会との差異による生きづらさを感じる現象、という結論になっている。
個人の特殊な性質ではなく、感性という誰しもが持っているものが起因だと。
つまり誰もがHSPになる可能性を秘めているとも言える、という事である。
というか当時の自分のHSPガチ自己分析があまりにも生々しすぎる。
よく今まで生きてこられたな。
一歩間違えたら死んでそうだなって自分で思った。
昨今蔓延るファッションHSPどもにこの文章叩きつけてやりたい。
「わたし繊細なんです~特別です~配慮して~」じゃねえよ。
まあおかげさまで今の私は随分と図太くなった。
いや、完全に乗り越えたわけではない。
忌々しい繊細は確実に今の私にも残っている。










