”趣味”のブログ

凡シュールのエッセイ

2020年3月17日にnoteで更新した記事を移行したものです。


とある場所へ仕事の面接に行ってきた。

1時間くらい面接していたのだが、ほぼ仕事観とか精神的な話に終始した。
ようするに「めちゃくちゃキツいよ」とかそういった内容だ。
これには正直怖気づいたが、結局やってみなければ分からない事だし、それが怖くてやらなかったらそれこそ弱虫だ。

そんな自分の人生の薄っぺらさを改めて思い知る、何ともほろ苦い面接だったので、少し凹みながら多摩川沿いをひたすら歩いていた。
だが、しばらく歩いていると浮かんできたのは_。

Webページの更新という内容も仕事に入っていたので、「個人的にWordpressのブログ運営もしています」と話していたのだが。
「しょせん趣味でしょ?じゃあそれで仕事は難しいかも。全然違うから」みたいなニュアンスで、自分も「まあそうですね…」としか返せなかった。

趣味。
一時期、私は毎日何本も記事を書いていた事がある。
多摩川沿いを歩きながらその頃の事を思い出していた。

あれは趣味だったか?
確かに自分の関心ある事ばかり書いていた。だが。

自分の考えを読む人に伝わるように書き、なおかつ他人を不快にさせないように配慮し、更には読みやすさを重視して行間や見出し、装飾を気にして。
文字数は1,000文字以上と決めて。
ページのレイアウトも全部自分で考えて。
ヒイヒイ言いながらPHP書いて0からカスタマイズもして。

それでいて、更新は続けようと1日何本もの記事を書いて。
ジャンルごとにノルマ決めて。お手本なんか無かった。
全部自分でシステムを考えた。
システムに不備があるなと感じたら改善案を考えてアップデートしていった。

あれは趣味だったか?
今日面接してくれた人が言っていた仕事の経営話と一緒ではないか?
会社立ち上げ時はお手本もなく0からのスタートで四苦八苦したと仰っていた(もちろんあちらは会社でこちらはたかが自分のサイトだからレベルは全く違うのだが)。

私のサイトはあの頃、考えている事、取り組んでいる事、自分の全てを集約したものだった。
確かに他人からは「好きな事ばかりしてて羨ましい」みたいな事も言われた。
大したお金にもならなかった。
何ヶ月かにAdsenseで8,000円くらい貰う程度だ。

しかしこれは趣味か?
そんな楽しい事ばかりでのほほん続けられているものだったか?

否。
社会的に認められずとも、ブログとは私にとって仕事の一部、いや生活そのものだった。

いつからそれを忘れていた?
他人に趣味だと言われても反論出来ないほどに?
自分でも趣味としか説明出来ないほどに?

今日「フォトショが使えないと厳しいね」とも言われた。
確かにAdobeアレルギーのせいでフォトショはいまだに使いこなせないが、ブラウザのCanvaでアイキャッチ画像は自作してきたし、それで事足りたし、写真の構図とかデザインだって独学ながら勉強した。
一眼レフ買った当初はF値とか全く分かってなかったが、それも少しずつ勉強した。

歩きながら沸々と湧いてきたのは自分への怒りだ。
「この体たらくが。一体何をしていたんだ?なぜ今まであの頃の事を忘れていた?」

別に遊んでいたわけではないが。
私とあの自サイトとは運命共同体であるべきだ。
いつからか雑に写真をアップロードするだけになっていたが。
結局、私は生まれながらのブログ人間でしかないのかもしれない(ブロガーという名称は個人的に好きになれない)。

売れない小説家と一緒だ。社会不適合者だ。

今までの仕事で得たもの?そんなものはない。
誰でも出来る、代わりはいくらでもいるような仕事にしか出会えなかった。
めんどくさいExcelのルーティーンをマクロ化したり後任の為に自分の業務のマニュアル自主的に作ったりはしていたが、大事なものを学んだ記憶はない。

人生初のバイトでは人格否定されるレベルのパワハラ三昧だった。
本当に大事な物は全てブログ運営などのクリエイティブな事とか、日常での思考から学んできた。
自分でひたすら考えた。

私はいつも怒りを原動力にしてきた。
再びWordpressの自サイトにガッツリ入れ込みたい気持ちでいっぱいだ。
何もかも打ち捨てて全力でつぎ込みたいくらいだ。

仕事なんてしてる場合じゃないんじゃないかって気がしてきた。
本当に自分は社会不適合者だな。

そして帰宅直後に勢いで書いた文章なのでめちゃくちゃである。
並びに私の脳内思考回路もめちゃくちゃである。

結局帰り道でマスクをつけ直す事すら忘れていた。
コロナ?かかったら笑え。
知るかそんなもの。クソくらえだ。

追記(2025年6月21日)

壮絶、としか言いようがない。

この記事中でもある面接なのだが、私はもっとWordpressを本気でやっている事をアピールすればもう少し別の評価が下っていただろう。
当時の私もその点には気付いていた。
が、そうする気にはなれなかった。

なぜか? そもそも私は面接の場…
つまり自分という人間が誰かにジャッジされる場という事に極度の違和感を覚えていて、そんな場で自分の感性をさらけ出すのを恐れていたからである。

それでは感性を偽れば良かったと言えよう。
ただ当時から私は、自分の感性を偽った時点でそれは死と同義だという強い信念を持っていた。
だから私がこれまでの人生の面接という場で自分の感性をさらけ出す事はほぼ無かったし、適当に取り繕った結果面接官の心を動かす事もなく、黙らせる経歴もなかった。

そしてどこにも受け入れられなかった。
今ならそれが社会サイドがおかしいと堂々と言える。
だが当時の私にはそれすら分からなかった。

正直この時期、一歩間違えたらマジで死んでたと思う。
そしてこの5年、noteやら何やら色々なものに浮気して結局ブログというこの場に帰ってきたわけだ。
まあ壮絶な旅路である。

ちなみに念の為最後のマスクについて触れておくが、この面接からの帰り道は完全に徒歩であり、川原やら人通りの少ない道ばかり通っていた、という事を特筆しておく。