2021年6月9日にnoteで書いた記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。
なるほどいい事を書いている。
米津玄師の感受性の高さよ。
星野源ANNのゲストに米津玄師が来ていた。 J-POPの第一線として活躍するお二人の音楽談義。 タイプは対極でありながら、似てるところも多い二人。 貴重な話がたくさん聴けて良かった。 米津さんは自身を”音楽さんの奴隷”と表現したり、本当に面白い言い回しをする方だなと思う。
その放送の中で特に印象的だった言葉がある。 米津さんの音楽に関しての一言だ。
「楽しいだけだったら飽きちゃってもう音楽やってないと思う」
この言葉を聞いた瞬間、なるほどと思った。 音楽に限らず、クリエイター全てに通ずる言葉なんじゃなかろうか。 あるいは、FPSや格ゲー、音ゲーといった”上達を目指すようなゲーム”にもいえるのかもしれない。
最初はただただ楽しくても、「もっと上手くなりたい」「もっといいものを」と考え始めた瞬間、楽しいだけではなくなる。何らかの苦しみが伴うようになる。 壁にぶつかる。挫折する。 「なんもわからん」と呻く。
その壁を乗り越えられたら自分の中で次のフェーズに進めるし、乗り越えられなかったら挫折してやめるだけだ。 「何で自分はこんな事やってるんだろう」 そんなむしゃくしゃしたどす黒い気持ちが沸き起こってくる。
楽しい事だけやっていたい。 その感情は常に持ち合わせている。 でも楽しいだけの事って、ずっとやれない。絶対にすぐ飽きちゃう。
楽しいだけの事とは違う、苦しみ含めての楽しさというか。 まるでマゾヒストみたいなんだけど。
苦しみを乗り越えてから何かを得た時の快感は、何物にも代えがたい。 ぬるま湯より刺激を。何度でも求めてしまう。 楽しいだけの事を何となくやっていても、この喜びは決して得る事は出来ないのである。
ある意味呪いだし、だがそれを含めて楽しいし愛おしい。 あぁ、なんもわからん。 そう言いながらも人はのめり込んでいくのだ。
それにしても星野源ANNは聞いてて気付かされる事が多いなぁ。

