なんて街なんだ、ここは。
長野県の上田に行っていた。
訪れるきっかけは些細なものであったが、とんでもない目に遭ったような気がする。
そして思う。とてもいい街だなと。
東京から新幹線に乗り上田に降り立って、まずは上田市立美術館に向かう。
道が広いわけではないが、歩行者が少ないから快適だ。
歩くうえでのパーソナルスペースが確保されてるって、こんなに贅沢な事だったんだなと思う。
山が見える環境というのもいい。やっぱり山が好きだ。
美術館に行こうと思ったのは「クレパス展」という、クレパス画を集めた企画展をやっていたので面白そうだなと思ったからである。
クレパスというと、子供の持つ画材というイメージが強い。
が、展示を見たら圧倒された。
油絵と見紛うほどのクオリティ。
むしろクレパスだからこそ出来る表現もたくさんある。
そして、油絵などと違って狭い場所でもすぐ絵が描けるという利点が挙げられていた。たしかに。
有名な画家も、そうじゃない画家も、時代も様々だった。
とにかく「クレパスで描かれた」という共通点のみで、様々な絵が並べられていた。
日曜で、館内にはほどほどに人が入っている。
中では「こういう絵、おじいちゃんのアトリエにあったよね」なんて家族同士の会話も聞こえてきた。
美術と住人の距離が近い街なのかもしれない。
というのも、上田といえば農民美術である。
山本鼎という人物が提唱した美術運動。
もともと日本の美術教育は、授業で模写をやらせるものだったらしい。臨画教育という。
模写を上手に真似れば真似るほどよい成績が与えられ、違っていたら赤ペンを入れられる。
そんな状態を「子供ならではの感性もあるんだから、もっと自由に絵を描かせるべきだ」と働きかけたのが山本鼎だ。
もともと百姓が多い上田だが、厳しい冬は仕事がない。
冬の間に工芸品を作る事で、少しでも稼ぎの足しにするようにと教えて回ったりもしていたらしい。
それが農民美術ということなのだそうだ。
ちなみに山本鼎は、先のクレパスの普及にも一役買っている。
常設展の方で、山本鼎の作品や農民美術についての解説なども展示されていた。
展示を見ていると、近くで「そうそうこれこれ、農民美術って言ってね…」と、おじいちゃんが孫に農民美術の事を教えていた。
テキストを読むだけなのと生きた言葉で伝えられるのって全然違うだろうなと思う。
上田という街、やっぱり芸術と住民の距離が近い気がする。
それもこれも山本鼎の農民美術運動の成果がちゃんと継承されている…という事なのかもしれない。
展示のすぐ外に子供用のクレパスお絵描きコーナーが用意されていた。
「ね、面白そうでしょ?自由にやってみよう!」の場がすぐ用意されてるというか。
もしかしたら上田市、とんでもないところなのかもしれない…と、この時点で思い始める。
軽くミュージアムショップで買い物してから、同じ建物内のカフェに入る。
日曜のお昼時とは思えないくらい、ゆったりした空間が広がっていた。
ちらほら食事してる人がいるだけ。
閑散としてるわけでもないが、ガヤガヤうるさい感じでもない。ちょうどいい。
店員さんもみんな穏やかかつ親切な感じがする。
都会の店員さんはとにかく効率的に人を捌かなければならないので、こういったカフェでもちょっと殺気立ってたりロボットのようになってしまっていたりする事が多い。
これが真の豊かさかもしれないな、とぼんやり思いながらカレーを食べる。
次は、しなの鉄道に乗って隣の信濃国分寺駅へ。
尾澤木彫美術館というところが気になったので、行ってみようと思ったのである。
駅から数分歩いて路地に入ると、特徴的な古民家が見えた。
おそるおそる中に入ると、入口に館長の尾澤さんという方がいた。
まず冊子をくれたり色々と説明してくれた。
館長さんといっても全然堅苦しくなく、親しみやすいおじさんという感じだ。
ちょうどサントミューゼで農民美術について見てきましたと言うと、更に細かく色々説明してくれた。
館内は尾澤さん自身が木彫で作った作品、世界中を巡って集めてきた木彫の作品がたくさん飾られていた。
まず建物の古民家からすごい。
もともと新潟にあった古民家を移設してきたものらしい。
あとコレクションの量もすごい。ヨーロッパやインドネシア、アジア諸国、ロシアなど様々な場所の木彫が一同に介していて、圧巻だった。
展示をひととおり見終わったところで、尾澤さんに「もしお時間あったら山本鼎についての紹介映像を見ていきませんか」と言われたので、せっかくだから見て行く事にした。
紹介映像を改めて見るが、山本鼎は本当にすごい人だ。
彼の残した言葉に「自分が直接感じたものが尊い」という言葉がある。
あぁ、今の私に必要な言葉だなと思った。
上田に来て本当に良かった。
映像が終わった後も、尾澤さんの話は続く。
世界中のコレクションを見た人に「世界って木彫の作品がたくさんあるんですね」と言われる事が多いが、実は現地でほとんど見つからずにそれでもかき集めていること、
農民美術としての木彫は全国的に教えていたのだが、戦争の時代なのもあって教えた人が木彫をやらずに工場で働くようになってしまったこと、
今の教育は知識ばかりで知恵の部分がおざなりにされているんじゃないかと心配なこと、
この古民家は新潟で取り壊しになるのが勿体ないと思ってわざわざ移築したこと、
建て直す際の設計も自分でやったが、彫刻家らしいこだわりを持って設計したこと、
教員免許は取らずに親を継いで彫刻家になったこと、
長年木彫をやっていて指がゴツゴツになっちゃったこと…
薪ストーブにあたりながら1時間くらい話してたんじゃなかろうか。
どうかここが、訪れる人の絶えない長く続く美術館であってほしいと思う。
SNSのような消費目的の連中でなく、本物の手触りを求める人に知ってほしいなと思った。
話の最後に「何でもいいんです。自分のやりたい事をやってください」と言われ、改めて山本鼎の残した言葉「自分が直接感じたものが尊い」という言葉を託された。
この人がすごいのは「私も木彫のコレクションなら誰にも負けないという気持ちを持って集めているんです。これだけは絶対に負けないと。ちゃんと美術館として残すために、もっと見やすくしようと考えてもいるんです。お互い頑張りましょう」と言ってくれたことだ。
上っ面だけまともなフリをした正論だけ並べてくる大人と全く違うし、私はこんな大人に今まで出会った事が無かった。
ちゃんと生きている人がここにいたんだな、とも思った。
生きている人という表現。
岡本太郎がかつて自分の両親について「親としては最低だったかもしれないが、彼らはちゃんと生きている人間だった」と述べている。
(ちなみにこの岡本太郎の作品と発言も上田市立美術館にて見ることができる)
私は前に岡本太郎美術館で彼の生き様に触れながら「この人が生きてたら(この場合はまだ亡くなっていなかったらの意だ)話してみたかったな」と思っていた。
ちゃんと生きてる気がしたからだ。
で、岡本太郎の言うような生きてる人と今回こうやって話をする事が出来た。
尾澤さんが1時間も私に色々話してくれたのは、それだけ話す価値がある人間だと思ってくれたから…だと思いたい。
もともと話し好きではありそうだが、誰にも彼にも…しかも初対面の人間とこういった話まではしないだろうなと思う。
同じコレクター魂を持ち、爆発を秘めてる人間だという事を見抜かれていたのかもしれない。
私という個を見つめて、それでも肯定してくれて、ただただ背中を押してくれた人に始めて出会った。
どうやら何かを継承してしまったようだ。
きっと理性の盾が削り取られ、感性を剥き出しにさせられてしまったのだろう。さすが彫刻家だ。
ここに来て…いや、上田に来て本当に良かったなと思った。
必死で涙をこらえ、ホテルにチェックインした後部屋で泣いた。
その後はバリューブックスのブックカフェNABOに行ってみたり。
YouTubeの積読チャンネルなどでも有名なあのバリューブックスだ。
隅々まで配慮が行き届いていて、棚も個性的で、いいところだった。
本好きの聖地すぎる。最高か。
そういえば、上田は古本屋もすごく多い。
それだけ住民に読書習慣が浸透している…という事なのかもしれない。
やっぱり農民美術の精神が至るところに根付いてる気がするなぁ。
翌日は、せっかくなので上田城址公園に行ってみる事にした。
真田家の面々に興味を持ったからだ。
歴史に疎いので、上田城が真田の城だったという事すら実際来てから知った。
私は最近家康の足跡を辿っているが、真田信繁(幸村)と真田氏の面々と家康はそこそこ縁がある。しかも因縁だ。
知らずして、家康の因縁の地に来てしまったようだ。
二度に渡る上田合戦で襲い来る徳川軍を圧倒的少数で退け、大阪冬の陣では真田丸を築いて徳川軍の肝を潰し、大阪夏の陣では家康に迫り、家康は危うく自刃しかねない勢いだったらしい。
結局、真田信繁は大阪夏の陣で戦死した。
が、家康をもってして「日の本一の兵なり」と言わしめた人間である。
言わば、天敵に近い存在だったのではないだろうか。
それこそ家康は若い頃に三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗した経験があるが、真田家ももともとは武田信玄の家臣だった。
もしかしたら、真田の面々は武田信玄の精神的継承者だったのかもしれない。
地形的特徴を熟知した戦い方といい、っぽさがある。
となると、家康にとって真田氏は本当に手に負えない存在だったのだろう。
とことん理詰めで大局を考える家康にとって、大阪冬の陣の真田丸は理解不能だったに違いない。
家康はその人生で、ずっと感性そのものみたいな人物を排除してきた。
今川氏真、築山御前、真田昌幸、真田信繁…。
三河一向一揆で信仰というものがいかに恐ろしいかも味わっている。
だからこそ江戸幕府という、個人の感情抜きで綺麗に回るシステムを編み出したのだろう。
それは安定であるが、同時に停滞でもある…
と、一生歴史を語るところだった。
上田城址公園で、まずは博物館に立ち寄った。
上田市内外から集めた様々な貴重品が飾られていた。
別館の方で真田氏関連の特集展示をしていた。
美術館でも思ったんだが、展示品のキャプションの読み応えがすごい。
ここまで詳細に、なおかついくつも長文キャプションがついてる事ってなかなか無いんじゃないか?
それだけ上田という地が教育熱心という事なのだろう。
一般的な教育熱心とは全然違った形である。
これもやはり農民美術精神か。
博物館を見た後は、ぶらぶらと公園内を歩く。
赤松小三郎という人物の紹介パネルを見つけた。
幕末の兵学者であり、日本の議会制政治の提唱者であるとの事。
だが当初この提言は新しすぎて受け入れられず、結果的に暗殺されてしまう。
真田信繁、赤松小三郎、山本鼎。
真田信繁は討ち死にし、赤松小三郎は暗殺され、山本鼎は批判されるようになってからは苦しい借金生活の中病死。
上田の著名人、みんなあまりにも真っ直ぐで熱血なのである。
不器用なほど真っ直ぐで、それはもう愚直と呼べるくらいだ。ストイック。
上田の土地柄なんだろうか。
山に囲まれた厳しい気候も関係しているのかもな。
この旅で、私はずっと煽られていたように思う。
「クレパスですらすごい絵は描ける」
「芸術はこれだけ生活に根ざした身近なもの」
「何か自分のやりたい事を見つけて思いっきりやってください」
ひたすら私の感性が…それも核の部分が揺さぶられていた。
真っ直ぐな風土が残る土地が、私の燻っていた感性を引きずり出した。
内臓のようにズルズル引きずり出されたうえで、往復ビンタを食らわせられた気分だ。
それが冒頭の「なんて街なんだ、ここは。」なわけである。
その後はぶらぶらと駅まで歩き、新幹線でノイズ溢れる東京に帰還した。
新幹線内で、NABOで購入した古本を読んだ。
かつての自分と今の自分を比較するような趣のエッセイ本だったのだが、中を読んでみたらまさに私の地元の東急ブランド駅在住の人物が書いたものだった。
いかにも「売れそう」な洗練された価値観の本だ。
著者が気付いた事がそれっぽく色々書かれていたが、結局資本のサイクルから全く抜け出せてなくて違う意味で面白かった。
これを分かってて確認する意味合いで買った節がある。古本だったから。
新品ならまず買わなかっただろう。
ある意味で、地元の欺瞞を再確認したような気がする。
地元。故郷。
その故郷…私のルーツは欺瞞だらけだという事が分かった。
持ちすぎる者の贅沢すぎる、かつ空虚で虚しい絶望。
だからこそ私は『人間失格』を書いた太宰治の気持ちがよく分かる。ムカつくけど分かる。
とはいえ、まともな故郷が無ければ創っちゃえばいい気がした。
第二の故郷ってやつだ。
別に第二である必要はない。
第三、第四の故郷があってもいい。
きっとその中に今回の上田も含まれているはずだ。
地元だけが私を育てるわけじゃない。
だから私は今後も各地を巡り歩くのだろう。
パッケージを消費するだけの観光とも完全にお別れだ。
こうして私は首都圏に戻り、再び冷笑系の仮面を装備した。
とはいえ、今の私にはこのサイトがある。
ここが本丸だ。
肉体が捕らわれているなら、魂だけ飛ばしてしまえ。
遠く、遠く、遠く
あの空へ、あの山へ、あの海へ
コンクリートで地団駄したら それはもう音楽だ















