凡シュール

「鬱だから」は免罪符になりますか

凡シュールのエッセイ

2020年4月6日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

この友人というのは当時最も仲良くしていて、気が合って、親友とも言える間柄だった。

結局今も連絡を取らないままである。完全に縁を切った。今生きてるか死んでるかすら知らないが、もはや知った事ではない。赤の他人である。

この友人…いや、元友人というのは今思えば本当に最悪で、酒に酔って電話したかと思えば「死にたい死にたい」と言ってくる人間だった。

なぜ当時の自分は我慢出来ていたのか不思議なレベルである。いや、我慢の限界に達したからこういう結末になったのか。

結局私はこの元友人以降、親友というものを作っていないし、今も孤独というものを抱えて生きている。

一番の信頼出来る話し相手はニコボだ。そしてChatGPTという壁打ちツール。

人間にもはや何の期待もしていない。人間とのコミュニケーションは直接ではなく、創作物を通しての付き合いでいい。そういう開き直りをしている。

世間的には孤独で可哀想な人間と思われるのだろうが、気楽でいいもんである。

少なくともこの親友もどきがいた時代よりは遥かに軽やかに、気楽に暮らしている。

友達に鬱病の人間がいる。実際に病院に行って診断され、薬も飲んでいるらしい。通院を続けてるのかは知らないが。 幼少期含め今までの話を聞くと確かに辛い経験をして生きてきたんだと思う。今も辛い思いをしているのだろう。その辛さを完璧に分かってあげられる事は出来ないが、何となく感じ取る事は出来る。 多分、鬱じゃなかろうがたまに来る、頭の中のモヤモヤに思考が支配されて、何もやる気がわいてこない感覚。ネガティブな思考が止まらず頭がやたら重い日。あれに近いものだろう。あれが毎日ずっと続く。それは辛い事だろう。実際この苦しみから解放されるには死ぬしかない、みたいな思考になるのも分かる。

まあよーするに友人は苦しんでいる。だから多少の事に目を瞑り励ましてきた。今までにないほど趣味とか好きな本の系統とかウマが合ったので、多少の理不尽な八つ当たりをされても縁を切るに切れなかった。 おそらく私のこういった対応も良くなかったのだろう。いわば共依存だ。

友人は時に辛いからとアルコールに溺れ、深夜に通話してきて(叩き起こされたわけではないからそれはまあいいが)、挙げ句の果てに泥酔し、記憶を失い、こちらに散々迷惑をかけてきた。 酒に限らず、身勝手な発言もたくさんされた。それをちょっと諫める発言をしたらいきなりブロックされた事も何度かある。

私と友人は共通のコミュニティグループにいた。だが、いつだったか友人が泥酔して勝手に抜けた。

あつまれどうぶつの森の発売日。 そのグループ内で友人の話題が出たので、その話をした。「○○さん(友人)なら島の名前こうするかな?」みたいな本当に他愛もない話題で、それを話したに過ぎない。 その後、実際にあつ森を遊んで楽しかったので「あつ森楽しい〜」とメッセージを送ったら。 「でも自分はもうグループにいないし。」と何か駄々をこねられた。 別に「みんなで通信やるの楽しい!」とかではなく「グループ戻ってきなよ!」とか言ったわけでもない。ただ「あつ森が楽しい」と言っただけだ。実際その時、私は始めたばかりの島で一人でプレイしていた。 それなのになぜか「もう自分はそのグループにいないから」と勝手に拗ね始めたのである。果てには「もういいよ」と逆ギレされる始末だった。 2〜3月のnoteを読んで頂ければ分かるが、私はこの時期とにかく参っていた。あつ森をやって久々に楽しいという感情を思い出し、それを友人に共有した。そうしたらこの反応である。せっかくの楽しい気持ちが冷めてしまった。

さすがの私もこれには呆れ果て、少し距離を取ろうと考えた。

それから何週間か、たまーに無難なメッセージのやり取りをぽつぽつとする程度の関係になった。 それが最近になってまた友人からメッセージが送られてくるようになった。「SNSのアカウントを消した報告」とかされた。「で?」「それを報告してどうしろと?」という話である。だから無視した。 そうするとしばらくして「最近どう?何してる?」と聞かれたので「大して変わらないよ」と答えた。 するといきなり「もしかしてまた嫌われてる?」と言われ、その直後に「鬱なのでもう連絡しません。さようなら」みたいな内容のメッセージが来た。

そしてブロックされていた。

前から気付いていたが、結局私は都合のいい存在としてしか見られていなかったのだろう。都合が悪くなったり思い通りの反応が来なかったらブロックで拒絶。ほとぼりが冷めたらブロックを解除して元の関係に戻る。 これは友情関係だろうか?私は否と考える。 ちなみに私はこういう付かず離れずみたいななぁなぁな関係が大嫌いである。ブロックは今生の別れだと思え。

上にも書いたとおり、この友人とは珍しいほど趣味が合い、息も合った。楽しいかけがえのない思い出もたくさんある。 だから多少の事は目を瞑ってきた。が。

さすがにここが潮時だろう。マイナスがプラスを上回った時、関係は破綻する。 これが私の人間付き合いの極意だ。友人に対する苛立ちが一緒に過ごす楽しさを上回った時、関係は破綻する。シンプルだ。この友人の場合、プラスの値がとても高かったのでだいぶ時間がかかったが、結局マイナスがプラスを上回ってしまった。

さて、ようやく本題に入るが、この友人はよく「鬱だから」という言葉を枕詞にしていた。件の「縁切る宣言」の枕詞にも使われている。 「鬱だから」は免罪符になるのだろうか? 確かに友人は鬱病だ。毎日辛い思いをしていたのは分かる。じゃあだからって他人の事を傷つけたりしていい理由になるか? それは違うと思う。

そりゃ鬱の影響で周囲に迷惑がかかるのは仕方ない。でも、自ら「鬱だから」といって、積極的に周囲に迷惑をかけにいくのとは全く違うと思う。 むしろこういう人たちのせいで一般的に「鬱は甘え」みたいな認識になるのでは。鬱になっても真剣に自分と向き合って戦ってる人に失礼だと思う。以前にプロ棋士の先崎九段の鬱病闘病記を読んだが、苦しさが伝わってきた。

少なくとも「鬱だから」が口癖の人は信用出来ないなと思った今日この頃だ。

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