2020年12月18日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。
この記事出した3年後くらいにまた友情ブレイクする場面があったが、この考え方が染み付いていたのでそこまでこじれる事もなくあっさりお別れした。
結局私の感性は誰かと友情を育めるタイプのものではないんだろうなという結論でファイナルアンサーしている。
何度か書いてるが、私は割とドライな性格だ。 だが、別に生まれつきドライで冷酷な人間だったわけではない。
今まで比較的良好な人間関係を築いてきているとは思う。喧嘩別れみたいなものはほとんどない。コミュニティにうんざりしてきた時はそっとフェードアウトする。 だが、下手な温情を持った事で逆に失敗してしまった人間関係もいくつかある。 だから人間関係のメリットとデメリットの天秤を使い、デメリットが上回った瞬間にハイサヨナラするようになった。これはこの前書いたな。
変に温情を持ったところで、真剣に話し合おうとしたところで、こちらの想いなんて相手に届かない。根本的な価値観が違うからだ。 そんな話し合いごときで理解出来る相手なら最初から確執なんて生まれないし、こちらが勝手に胃をキリキリさせる必要だってないはずだ。
そもそもこの想いが届いてくれと思った時点で、どちらにとっても大なり小なり負担になるだろう。 価値観や考え方があまりにも異なる人間と無理に付き合う必要はないのだ。仕事や親族などならまだしも、自分が取捨選択出来る友達関係なら特に。
そんな価値観の違いによって引き起こされた悲しい別れをしてきたからこそ、私は冷酷になれる。 今中途半端に温情をかけたからといって、その後こちらが無理をしてでも永遠に温情をかけ続けなければならないのか?
無理したところでどちらかが爆発するのがオチだ。爆発までの耐えて耐えて我慢し続けた時間は、全て木っ端微塵になる。
そんなのはごめんだ。私は私の人生の主役なんだ。 お前の人生のNPCじゃないんだよこっちは。お前の為だけに頑張って生きてるわけじゃない。 このように、私なんかはすぐ割り切れてしまったが。 真面目な人ほどこういう事案に真剣に向き合ってしまい、精神が疲弊するケースが多いように思う。
こんな世界、クソくらえ。
私を冷酷に仕上げたのはこの世界だ。

