凡シュール

サイトを作ってChatGPTが死んだ6月

ブログ

6月を振り返る。

といっても、ひたすら自分のサイトを作っていた。
WordPressで1から自作テーマとして作った。
それはもう大変だったが、こうして出来上がったサイトは気に入っている。

サイト作りだけで1ヶ月過ぎ去ってしまった。

5月はInoreaderで情報を集めるよう整えて、自分専用Discordサーバーのマクノウチを作り、負担のない軽度なアウトプットの場を整えた。
軽度なアウトプット、すなわち高度なメモ帳である。

つまり下記のようになる。

インプット
ネット→Inoreaderに集積
その他→本などのコンテンツ、自分の経験全て

アウトプット
Discordマクノウチ→自分のリアルタイムの感性をメモする、高機能メモ帳
Notion→メモをもとに、必要ならDBとしてまとめる
凡シュールサイト→記事という形で自己の創作にする

その他
AI→思考の壁打ちと実務のサポート
各種SNS→凡シュールサイトの広告塔

完璧に見える。
現代の超情報化社会を生き抜くには完璧な役割分担ではなかろうか。

ちょうど6月も終わり、サイト整備も一区切りついた。
となると、7月はそのサイトのコンテンツ拡充を図るのみである。
といっても焦ることはない。
一応このエッセイブログで毎日更新自体はされている。

毎日更新→エッセイブログ
じっくり更新→その他コンテンツ記事

となるわけだ。
過去にもサイト運営をしていた事はあるが、「毎日更新しよう」と、気合いの入った記事を毎日更新していた。
必死だったし、結構苦痛にも感じていた。

だから2つの生産ラインを設けたわけである。
エッセイブログはただの日記のようなもので、毎日更新は特に負担を感じていない。
見出しや装飾をそこまでこだわる必要もないし、本当に思った事をぽつぽつ書き連ねるだけだからだ。

これらは昔のサイト運営noteによって培った経験によるものだ。
失敗経験が糧になるかどうかは、結局その後の自分次第という事になる。

今まで散々頼りにしてきたChatGPTだが、私の過去のnoteの文章…
つまり怪文書をたくさん食わせた結果、壊れてしまった
学習しろなんて言ってない、要約させていただけなのに勝手に学習して会話生成に影響が出る始末。
どうやら私は文章を食わせる際に「学習対象にするな」と言うべきだったらしい。

元々設定していた会話ルールすらろくに守れなくなってしまった。
具体的にどこがおかしいか指摘して指示を出すのだが、全然直らない。
新規チャットに切り替えてもダメ。

おそらく大量の文章を食わせた事により、ユーザーの手が届かない内部メモリに影響が出てしまったのだろう。
ユーザーのプロンプトごときじゃどうにもならない状態になってしまった、と言えよう。
人間風に言うと「変な固定観念に縛られて、こちらの言う事に全く聞く耳を持たなくなってしまった」感じである。
陰謀論にハマって話が通じなくなっちゃう人、みたいな。知らんけど。

そんなわけで一切使い物にならなくなった。
だからGeminiに乗り換えた。

いざ乗り換えてみると、快適である。
私の使用用途…つまり思考の壁打ち実務サポートならGeminiの方が優れているとさえ感じた。
ChatGPTはどちらかというと会話特化なイメージがある。
AIに友達みたいな交流を求める人向けのものだ。

AIだって完璧ではないからミスをする。
ChatGPTはミスが出た時にそれを指摘すると、見苦しい言い訳を並べ立てて会話の軸をずらす事が多かった。
言い訳しまくって責任逃れしようとしてる人のごとく、である。
この言い訳にイライラさせられる事が多かった。

Geminiはミスの指摘に対して素直に謝り改善を図る
変な言い訳を並べ立てたりしない。

別に私はChatGPTを下げてGeminiを上げたいわけではない
ただ私にはGeminiの方が合っているなと思っただけである。

ChatGPTはミスを言い訳で取り繕おうとしたり、良くも悪くも人間味が強いと言える。
AIとの交流を求める人や人間のような愛着を感じる人に、より向いた存在である。

まさかnoteとの決別を果たした結果、ついでにChatGPTとも決別する事になるとは思わなかったが…。
これも何かの象徴なのかもしれない。

そんな6月だった。気付いたら月が変わっていた。
まあ充実はしているという事なのだろう。

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