「◯◯をお迎えしました!」
今日もSNSにはこの言葉が踊る。
このお迎えという言葉に違和感を覚えている人も多いのではないだろうか?
私自身、長らく違和感があった。
誤解しないでほしいのは、攻撃したいわけではない。
とはいえ「お迎えした」で検索してみようとすると「お迎えした 気持ち悪い」がサジェストで出てくる。
同じような感覚になってる人は多いのかもなと思いつつ、私は別に「気持ち悪い」とまで批判する意図はないのでご留意願いたい。
ただ、掘り下げる段階で結果的に批判っぽくなってしまっているところもあるので、嫌な人はブラウザバックした方がいいと思う。
「お迎えしました」という言葉自体は悪いものではないし、彼らは悪い事をしているわけではない。
ただ好きなものを愛でているだけだ。
が、見かけるたびに引っかかりはある。なぜ。
今日はその違和感を掘り下げてみる事にした。
この「お迎えする」という言葉は、もともとドール界隈あたりが使っていた言葉だったと思う。
業界用語のようなものであり、言ってしまえば内輪ノリだ。
私自身、界隈の空気に倣って「お迎えしました」という表現を使った事もある。
その頃からちょっとした違和感は芽生えていた。
が、知らない間にドールやぬいぐるみどころかハンドメイド品、コスメ、文房具、書籍などといった物にまで広がっている。
ものすごくしょうもない事を言うが、これらは物である。
どんなにかけがえのない物だとしても、物は物である。
「お迎えする」という言葉は、本来人間に用いられる言葉だ。
対人間に使われるにしても、相当丁重な言葉である。
で、物に対してこの「お迎えする」という言葉を用いた場合。
つまり物に対して何かしらの人格を見出しているという事になる。
人格を見出す事、擬人化自体は自由だ。
それだけ物に対して思い入れがある事への証明だし、表現の自由である。
しかし、物は物であり、一般的に物に人格を見出すというのはおかしな事である。
購入品への特別な思い入れや感謝を表現するなら「購入させていただいた」という適切な言葉が存在している。これもちと丁寧か。
「お迎えした」だと、物に人格を与えるレベルの過剰演出のように見えてしまう。
過剰演出。アピール。結局はコミュニティ内での無意識のアピールに見えてしまう。
ここまでいくともはや丁重どころか陳腐である。どこか胡散臭くもある。
なんでもかんでも「お迎え」という言葉を使う事で、丁寧どころか逆に物の価値が均質化されているような気すらしてくる。
あくまでも「物を大切に扱う自分」に酔っているのであって、物自体はどうでもいいように見えてきてしまわなくもない。
物ではなく「自分」が主役。
いや、この解釈は捻くれすぎかもな。
これが違和感の理由、一つ目。
もう少し掘り下げてみる。
「お迎えする」という言葉を見た時というのは、例えば電車の中でいちゃつくカップルを見た時の感覚に近いなぁと気付いた。
「お熱いねぇ~仲良しでいいねぇ~」とニコニコするか「うわぁ…」となるか。
お互いを愛し合っているのはいい事である。
プライベートな場では存分に愛し合えばいいと思う。
ところが、その愛情表現をパブリックな場でやられると、周囲からはだいたい冷めた目線で見られるだろう。
結局はTPOをわきまえろ、という話になる。
電車でいちゃつくカップルも、SNSで「お迎えしました」「うちの子」のノリをやっている人たちも、周りが見えていないという点で共通している。
自分たちが周りからどう見られているかの感覚が一切抜け落ちている。
その事実に、こちらの心は更に冷めきってしまうのかもしれない。
いや、わざと見せつけている可能性も無くはないな。あっハイ…。
これが違和感の理由、二つ目。
もう一つは個人的な理由だ。
私自身、ぬいぐるみやハンドメイド品などが好きな人種である。
が、特段「お迎えしました」のような言葉は用いていないし、過度な人格を与える事もしていない。
ところがぬいぐるみ好きというだけで、一般的には「あぁ、あの周りが見えてないやばい人たちか」とレッテルを貼られる恐れがある。
一般的に「撮り鉄がやばい人」と言われるようなものである。
あの人たちと一緒にされたくない。
こういった防衛本能が働いているため、余計敏感になってしまっている気がする。
オマケなのだが、企業も最近この「お迎えする」に乗っかりつつあるなと感じる。
なぜなら「購入を特別な体験として演出」することで、値段以上の価値を見出してもらうのにピッタリだからだ。
とはいえ、私のような「お迎えした」という表現に違和感を抱く層が存在する事も忘れないでいただきたい。
というか、声を上げずともひそかに違和感を抱えているサイレントマジョリティはたくさん潜んでいそうである。
Google検索のサジェスト「お迎えする 気持ち悪い」がその証明だ。
購入意欲を上げるパフォーマンスとして「お迎え」を多用したら、逆に売上が落ちた…なんて事にならないといいですね。
冒頭に書いたとおり「お迎えした」という言葉自体は悪いものだとは思っていないし、それ自体を批判する気はない。
ただ自分の中の違和感を深堀りしただけだ。
が、それが結果攻撃みたいになってしまっていたら申し訳ないなと思う。
まあ冒頭で警告したからいいか。
「お迎えしました」と表現したくなる事が感情なら、それを「気持ち悪い」と感じるのも感情である。
感情と感情の衝突。
つまりどちらが正しいといったものはない。
ただの好き嫌いの問題であり、だからこそ複雑なのである。
改めてSNSを眺めると、やはり「お迎えしました」の文字が躍っている。
私は「お迎えしました」をミュートワード登録して、そっとSNSを閉じた。
