凡シュール

雑記みたいな文章は思考の排泄行為なのかもしれない。

凡シュールのエッセイ

2020年4月14日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

悩み抜いて書くのがこんな文章なんだから、私は元来楽観的で奔放な性格なんだろうなというのが改めて分かる。

この図太さがあったから危うい地点に行きつつも、今ものうのうと生き延びているのだろう。

最近日常の気付きみたいな雑記をよくこのnoteに書き散らしている。

別に誰かに読んでほしいみたいな強い気持ちはない。ただ思った事を書いて今自分の考えている事を理解したうえで、文章という形で思考を視覚化しているに過ぎない。人によっては絵だったり写真だったりするだろう。

この雑記、最近はほぼ毎日、結構頻繁に書いているが、私は特に「何時に書いて更新するぞ!毎日書くぞ!」みたいに意気込んでやっているわけではない。

何となく書きたい事を書きたくなったタイミングで書き散らすだけだ。だから特に練った文章というわけでもない。

で、たまに長い期間文章を書かない時は何だか調子が悪い。

あれ、この感覚どこかで…?と思ったら、あれだ。

うんこだ。

毎日うんこするぞ!と気合いを入れてうんこする人はあまりいないだろう。で、便秘が続くと調子が悪いのも一緒だ。

つまり私にとって日常のアレコレを書き散らすというのは、思考の排泄行為のようなものらしい。

こんもりと書ける日もあるし、キレが悪い日もある。思考がモヤモヤとした洪水のようになっている時、文章として書き上げた時は頭の中がスッキリする。やっぱりうんこと一緒だ。

汚い話で、食事中の人がいたら大変申し訳ないのだが。

糞みたいな文章という点ではあながち間違っていない気がする。

そんなわけで、今日も元気に文章を捻り出したわけだ。快調快調。

Recommend