これは2020年2月19日にnoteで公開した記事を移行したものです。
昨日、吉祥寺に行った。
風邪で1週間近く引きこもっていて鬱屈としていたのだ。
気分転換だった。
なぜ吉祥寺かというと、今吉祥寺のマルイでリカちゃん人形の催事イベントをやっているからだ。
電車を乗り継いで吉祥寺に辿り着く。
リカちゃんが並んでいるのを見て癒される。
わざわざ吉祥寺まで来て、このまま帰るのもなぁと思い、上のレストランかカフェでのんびりしていこうかなと思い立つ。
フロアガイドを見ると、「あ、MUJI CAFEあるじゃん。行ってみよ。」
MUJI CAFEとは、最近都内を中心に増えている、無印良品の店舗に併設されているカフェだ。
前からドリンクなどおいしそうだなと思いつつも、休日は混雑と行列。
入る機会を逸していた。
そんなわけで、エスカレーターで無印のあるフロアへと向かう。
…途中で猫グッズだらけの店が目に入り、立ち寄る。
ぬいぐるみから生活雑貨まで、あらゆる猫グッズが並んでいる素敵なお店だった。
とある猫のぬいぐるみと目が合ってしまったので購入。
一目惚れってやつだ。
私はよくぬいぐるみや人形相手に恋に落ちる。
寄り道をしながらも、ようやくMUJI CAFEに辿り着く。
お腹が空いた。そういえば朝から何も食べていない。
欲望に忠実な私は、がっつり食べれるメニューを注文する。
3品のお惣菜(これはいくつか並んでる中なら自分で3品選ぶ)にご飯、味噌汁がついたセットだ。
早速食べる。おいしい。
思えば胃腸に来る風邪だったので、何日もまともな食事をとっていなかった。
一度だけごま豆乳鍋を食べたくらいか。
あとはせいぜいうどんとか。
ちゃんとしたご飯を食べれる幸せを噛み締めて、出来るだけゆっくりと味わって食べた。
食事とはこんなに楽しいものだったのか、なんて考えたり考えなかったり。
カワイイ物を見て目と心が癒され、おいしい食事で満足感も得た。
そろそろ帰ろうかと時計を見る。
時間は17時。ラッシュアワーだ。
ぎゅうぎゅうの電車に乗ったり、都会の喧騒の一員になる気分ではない。
歩いて帰っちゃおうか。
Google mapで検索すると、家まで約15km。
まともに歩くと3時間らしい。
ちょっと遠いけど歩けなくもないな。
一度自転車で走った事があるので、距離感も大体わかる。
おさんぽスタート。

まずは井の頭公園。
いつかじっくり周ろうかなと思いつつもなかなか来る機会もなく、通り過ぎるだけ。
今日もただの通過地点。
近いうちに三鷹の森ジブリ美術館とセットで来よう。
井の頭公園を抜け、ひたすら住宅街を歩く。
たまに梅を見かけたが、もうすぐ咲きそうな気配を見せていた。
思えば、17時過ぎなのにまだ空が明るい。
知らない間に春はすぐそこまで来ているらしい。
三鷹台団地の前に、不思議な電話ボックスがあった。
中が広く、オフィスチェアが2つ置いてあった。珍しい。

どこかの交差点の脇にいたお地蔵さん。
ずいぶんと暖かそうだ。何だかほっこりする。

中央自動車道の下を通り、三鷹市から世田谷区へ。
このあたり一帯はまさに郊外といった感じで、それなりに上品な住宅街が続く。
だからなのか、都内にしてはごみごみした印象がなく、空が広い。

夕暮れ。先月の石垣島旅行を思い出す。
最終日前日、誰もいないだだっ広い公園で、一人で夕暮れを眺めていた。
様々な感情を抱えながら。
住宅街を歩いているのでそんなに人通りは多くないのだが、自転車の親子と何度かすれ違った。
学校前では部活帰りの学生たちとすれ違った。
彼らはこれから帰宅して夕ご飯でも食べるのだろう。
ありきたりな日常。
なぜか懐かしさがこみ上げてきて、胸がいっぱいになる。
10kmほど歩いて、そろそろ足の裏も痛くなってきたなぁと思い始めた頃、小田急の成城学園前駅に辿り着いた。
駅前は帰宅する人たちで活気と疲労感に溢れていた。
このまま電車で帰ってもいいのだが、やっぱりラッシュが嫌なのと乗り換えが少しめんどくさい。
前に、二子玉で成城学園前駅行きのバスを見かけたのを思い出す。
つまり成城学園前から二子玉行きのバスがある。
じゃあバスで帰ろうか。
バス停の場所は分かりづらかったが、無事に発見。
空いているバスに乗り込んで、のんびり揺られて帰った。
思ったより近かった。
散歩とは
散歩中は考え事が捗る。
面白いアイディアも浮かんでくる時がある。
だんだん疲れてくると、ただ無心で足を動かす。
足を交互に動かすと前に進む。どこかに辿り着く。
小さな達成感を味わう。
散歩って人生の縮図みたいだなって思った。
私は散歩が好きだ。
何かにむしゃくしゃした時はただひたすら歩く。
だんだんどうでも良くなる。
片思いしてた人が脈なしと悟った時、何度目か分からない採用お断りの電話を貰った時、私はひたすら歩いた。
最初はその事ばかり悶々と考えていたが、だんだんどうでも良くなって、いつの間にかただ初めて見る景色を楽しんでいた。
散歩という行為を通じて、街や自然のエネルギーを体内に取り入れているのかもしれない。
だからなのか、散歩は鬱にもいいと聞く。
散歩をしていると、自分は何てちっぽけな存在なんだろうと改めて思う。
人体でいう一つの細胞のような存在。
小さな細胞が集まって世界を作り上げているのだろう。
車でも自転車でもなく、歩きだからこそ見えてくるものもあるのだろう。
乗り物は速くて便利だが、時には速すぎる。
見落とすべきでない物を見落としてしまう。
いつも電車で通り過ぎていた場所を改めて歩くと、思いがけない発見をする事だってある。
効率の事しか考えてなさそうな人たちに”無駄”と切り捨てられてしまいそうな散歩という行為だが、その散歩だからこそ得られるものだってたくさんある。
この世界に”無駄な事”など存在しない。
追記(2025年6月21日)
吉祥寺から10km歩いて家に帰った散歩日記でありながら、後半は散歩というものについて解剖して語っている。
よく効率的な人は「散歩の良さが分からない」と言うものだが、散歩好きがどうして散歩好きなのかが頭で理解しやすい文章なのではないかと思う。






