凡シュール
過去の文章をたくさん読んでいて思ったが、エッセイとは「思考の欠片」なのではないかと思った。
起き上がる気力がわかない時間が長く、布団でだらだらと『Get Backers』という漫画を読んでいた。
ここまで来るとやはり一気に土台を整えたくなるものだ。
感性があるからこそ世界はクソに見えるし、また美しくも見える。
私の創作の動機は「これやるの楽しいな〜」でしか無い。
我ながら切り替えが早いというか、何というか。
資本主義がもたらしたものは、便利さ、そしてこの世の中全てを消費物と捉える価値観だ。
ふとGoogle検索を見ると、検索結果が勝手にパーソナライズされている事に気付いた。
いくら何でもあんまりだと思う。
結局全てはシンプルな答えに行き着くようだ。
模倣で得た技術をオリジナルに落とし込む方法を模索していた。その段階で、自分の今まで作ったものを見返していた。
完全な初心者向けに比べて、ステップアップのためのhowtoは遥かに少ない。
数ある品物から私自身が選び取ったものであり、どれもかけがえのない宝物の一部となるだろう。
いや…毎日面白いものが書けるわけないだろ。
このお迎えという言葉に違和感を覚えている人も多いのではないだろうか?
何か具体的なイメージが伴わないと全く覚えられないらしい。
人の弱みというのは、いつでも悪人の餌食になりやすいのだろう。
私の祖父は生前「生きているうちに頭を使え」とよく言っていたらしい。
厄年って超絶不合理じゃないか?
「地味」という言葉はやたら過小評価されている気がする。
ネットで個人情報を曝け出すのにも抵抗があるので、リアル顔写真をアイコンにしてる人とは根本的な文化の差を感じる。
手放してしまえばもっと楽なんだろうなと思う。
何も考えたくない時は、作業の隙間時間で漫画を読む。頭を使わないで読める作品が好き。
これらの施設を通り抜けながら「この街は最適化されたのだな」と思った。
そもそもそんな肩書きばかり名乗られても、私は一つの疑問しか浮かばない。「あなたは誰?」
調子が悪い。
そもそもこのサイトが私という人間の歴史のようなものだ。
丸ごとのピーマンに思いっきりかぶりつく贅沢。 こういう贅沢もあるのだなぁと思う。
昨日は…特筆すべき事が何もないくらい、普通の1日だった。
クリエイティブな事を始めたというよりは、生きる意味そのものの創造。