凡シュール
何の変哲もない物でも、絆を紡ぐと本来の価値を上回る。
大人は必ず意味を見出そうとする。
「世の中クソだな」と厭世的な気分だけが積み上がっていく。
今年は様々な物を自分から手放している。
この文章は個人的な思考を書き留めたものに過ぎない、と事前に忠告しておく。
「楽しければ下手でも何でもいい」という真のエンジョイ勢におそらく私はなれない。
最近気圧やら何やらで体調が優れない。
オレンジ髪の私は「その頭で葬式に来るな」と言われたりもした。
M-1を見た。錦鯉が優勝。
私は他人から見ると、どうやら少し変わっているらしい。
歳を取るにつれ、徐々に好きなもの嫌いなものというのは固定されてくる。
何をやってもピンとこない。
一体感とは、どんな時に感じるものだろうか?
言葉って何だろうか。
恋愛って何だ?好きって何だ?
最近また少し、他人が羨ましいモードになっている。
星野源ANNのゲストに米津玄師が来ていた。
6月4日は”虫の日”らしい。語呂合わせ。
結局、マドンナの心を射止めるのはおべんちゃらや崇拝の言葉などではなく、1人の人間としてきちんと向き合ってくれる人なんだと…
レシピにある「適量」という表記。料理を始めた当初、わたしはこの表記に戸惑った。
Cubaseの方は…本っ当にわかりづらいな。
ここんとこ最近は特に、世の中はフキゲンに溢れている。
物凄く尖った事を書くのだが、結婚というシステムももうそろそろ時代遅れなんじゃないか?という気がしている。
みんな”何か”になりたがる時代。
また進撃の巨人最終回繋がりの話だ。
葬式ももっと多様化していいんじゃないかと思う。
”うまく描く”とはどういうことだろうか。
世の中のフィクション作品には勧善懲悪ものが溢れている。
「そんな他人の粗突っ込んでるだけの人生楽しいか?もう少し楽しい事探せば?」とか言いたくなる。
この3日ほど、ゲームしたり読書したり自堕落な生活をおくっていた。